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仕事を辞めてビクトリアにきた理由

主な理由


     今回で3回目のビクトリア。ビクトリアはカナダ、ブリティッシュコロンビア州の首都でバンクーバー島の南端に位置し、地図で見るとアメリカ、シアトルの真上にある。1回目は1ヶ月の語学留学。2回目はホストファミリーに会うため1週間滞在した。短大時代、初めてビクトリアに来たとき、フレンドリーな地元の人たちのおかげで、ビクトリアが落ち着ける場所だと知った。カナダは多文化主義なため、個々人の違いを受け入れてくれ、私も私らしくしていいんだと思えた。
     
     私にとってビクトリアは私の地元である長野より少し過ごしやすい。ビクトリアの生活は楽で、長野が住みにくいところだと言っているわけではない。ただ、二つの場所を比べると、ビクトリアの方が長野よりも伸びやかで、柔軟性のある雰囲気を感じる。
      
     一方で、24年の人生を過ごした長野では、同調圧力をずっと感じていた。みんなが一緒でなければいけなくて、学校や職場で誰も間違えをしてはいけない。そうでなければ悪い意味で、変わった奴として扱われてしまう気がしていた。

便利な日本だけれど…

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故郷の長野

     もちろん、自分の国のことは尊敬しているし、文化も人も大好きだ。遅延のない電車、迅速に届く荷物、完璧な接客に綺麗な街並み。全てがきちんとしていてるのは素晴らしいこと。駅員さんは1分の電車の遅延にさえ、乗客へ断りを入れる。

    だけど、その正確性は本当に私たちに必要なのだろうか。日本の社会がより便利になるたび、私たち日本人はますます自分の仕事に完璧さを求められる。雇用者の中には、雇用主からのそのきついプレッシャーに耐えられず、自殺をしてしまう人もいる。悲しいことに、私の友達の同僚は25歳という若さで命を絶った。 彼は地方の小さな銀行の営業マンだった。ミスが許されない職場で働くのはとてもやりずらかったと思う。彼の近くの町で、経理課として働いていた私は、少し彼の気持ちが分かる気がする。

     その上、私や彼がいたような会社の中では、圧倒されないようにするのは難しいことだと思う。 その会社の保守性や固い考えが、町を頑固にし、全てに対し細かい性格にしてしまう。特に、私のようなADHDを持った人間にとって、そうした環境は働きにくかった。

ビクトリアの好きなところ


 ここまでがビクトリアに来た少しネガティブな理由だが、ビクトリアに来た理由はそれだけではない。ポジティブな理由もある。魅了的だと思うところはたくさんあって、中でも活力をくれる夏と、私の人生にとって物凄く大切なホストファミリーがお気に入りを語るには欠かせない。

ウィローズ・ビーチ

    初めてここに来たのは、2017年の晩夏だった。ほとんどない湿気が太陽の光と暑さを和らげ、浜辺の心地よい風が私のからだ全体を通り抜けた。森の中では木々が私の陰鬱な気持ちを取り払ってくれるかのように、私を包み込んでくれ、 ウサギや鹿などの自分の故郷では見ないような動物があちこちいた。自然好きとして、緑や海と共に過ごす以上に最高なことはない。ビクトリアのことをすぐに好きになった。

マウント・ダグラス・パーク

    そしてその夏、ホストファミリーに出会った。滞在はたったの1ヶ月だったが、私たちの間には強い絆ができた。それから5年もの長い付き合いになる。 彼らに出会うまで、人間関係や結婚についての悲観的な見方が、私の頭の中にずっとまとわりついて離れなかったが、奇跡的な出会いが起こってから、そうした考えはどこかに消えた。それは彼らがとても優しく、私に対する愛情表現がいつもストレートだったから。おかげで、いいことも悪いこともなんでも共有することができた。そして私にあることを教えてくれたおかげで、未来が明るく照らされた。それは、どんな関係も大変な時期があるが、何が起こっても、自分の感情を相手に伝えたり、相手の気持ちを聞くことで、少なくとも関係の修復をしようとすることはできるということ。人が考えることを信じ、尊敬すること。それが最も重要なことなのだと。

大切なホストファミリー

もしも違う人生を歩んでいたら

 こうした理由で、またカナダに戻ってくることになった。言った通り、自分の故郷は大好きだし、何も責めるつもりはない。それに長野も近頃変わりつつある。たぶん私が育った当時の町が、小さすぎで保守的すぎだっただけなのだろう。私がもし、もっと大きな町に住んでいたら、私の人生は違っていたのかもしれない。私がインターナショナルスクールに通っていたら、もっとクリエイティブな仕事を選んでいたかもしれない。こんな風にも思わなかっただろうし、またビクトリアに来ようとも思わなかっただろう。でもそれは誰にも分からない。もしそうだったとしても、ビクトリアの壮大な景色と大らかな人々により、ここに導かれていたと確信している。


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