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試し読み:『アニメーション 〈動き〉のガイドブック 伝わる表現の基礎講座』

2024年3月に刊行した『アニメーション 〈動き〉のガイドブック 伝わる表現の基礎講座』。「伝わる」アニメーションをつくるための、シンプルで奥深いガイドブックです。本書の試し読みとして、共著者の稲村武志氏による、Part2の〈共通感覚〉についての講座をご紹介します。

※本書で言う〈共通感覚〉とは、表現する側とそれを受け取る側との「共通の土台」となる、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、運動感覚などの諸感覚や、それと結びつく記憶、知識、認識等のこと。アニメーションや絵は、同じテーマでも描く人によって表現が異なり、また観る人によって受け取り方・感じ方が異なります。本書ではその背景にある〈共通感覚〉に焦点をあてて解説を進めていきます。

特別講義 〈共通感覚〉について

講師:稲村武志

集団制作で共通感覚を確かめること

 「決まりや法則を守って言われた通りに絵を描いたのに、監督に見てもらったら『なんか…違うなあ』と言われました。」
 「『感じ』ってなんですか? なぜその一言で、先輩方の間では、話が通じるのですか? 上手い人たちには、何が見えているのですか?」
 アニメーションの職場で働いていると、こういった質問を受けることがあります。集団制作では、監督、検査、ディレクター、スーパーバイザーといった決定権のあるスタッフでない限り、何らかの形で自分の仕上げた仕事をチェックしてもらう機会が多くあります。職場だけでなく学校などでも、芸術分野の課題評価においては、講師と受講生の双方に同じような経験があると思います。こういった時に、観てもらう人は「自分が何を描こうとしたのか」「何を表現したかったのか」を伝えてみる。そして観る人は「私には、こういう感じに見えます」と伝えるようにしてみてはいかがでしょうか。
 チェックの際、相手が何を言っているかわからないというときには、「描く人」と「観た人」で、映像の向こう側に表現したいものや見えているものが異なっているケースがあります。私自身、映画制作に関わっている際に「描こうとしている内容や対象の認識が監督と異なる」といったことや、「お互いが持っている共通感覚や表現に対する理解の仕方にズレがある」ということが何度もありました。そんなとき、自分の意図や認識を伝えることで、監督の意図や感じ方、教えを授かることができ、結果としてお互いの共通感覚が近づきました。そのうち、監督から「これお願いしていい? 見ればわかるから」と依頼され、説明抜きに手伝いを引き受けることにもなりました。
 集団制作というのは、一つの作品をみんなで作るということです。しかし、同じ志の人が一つの作品を作っていて同じものを目指していたとしても、共通感覚には、世代、性別、体力差、文化、価値観といったさまざまな人生経験が含まれます。同じ地域、同じ文化の中で育てば共通感覚が近いこともたくさんありますが、一人一人人生経験は異なりますので、全ての人が100%同じというわけではありません。人によって多少の差異がある方が、むしろ自然とも言えます。それは、「同じ目標を目指している」といっても、作品の解釈の仕方や表現方法、表現の受け取り方、表現の何を大事にするかなどがそれぞれで多少異なることがある、ということでもあります。ですから一つの作品を一緒に作っていたとしても、お互いの共通感覚を確認し、方向性を修正し合うことが必要になるケースはよく起こり得るのです。
 「聞いてみる」「話し合う」「アイデアを出してみる」といったことは、可能であるなら恐れずに、また相手へのリスペクトも忘れずにやってみてほしいと思います。聞いてみたり、話してみたりした結果、相手と共通感覚が違っていたとしても、それは新たな「発見」であって、新たな共通感覚の一部になっていきます。
 実際に私自身、制作現場で監督から「いなちゃん、これ違うよ」と言われることはこれまで何度も経験していますが、ある時から一方的に受け入れるのではなく、ズレを感じる時にはその都度「〇〇な感じに見えるということですか? □□と思って描いたのですが?」と聞くようにしました。表現に対する考え方や感じ方、作品の方向性など、お互いを知ることができますし、アニメーションを創る時にはいくつかある表現方法から選択をするようなことがたくさんありますが、そういった時にも考えようが出てくるようになりました。その経験から、作品制作が佳境に入るとスタッフ全員が忙しくなりますから、そうなる前に色々なことを確かめておくようになりました。
 集団制作において共通感覚の違いは、決してマイナスなことではありません。物事には多種多様な見方や感じ方があり、多くの正解があります。一つの見方、一人の感覚ではなく、多くの人の見方や感覚が集まることで、一人のキャラクターを多方面から描くことになり、そのキャラクター表現の厚みが増すことは、集団制作だからこそ生み出される利点とも言えます。共通感覚の違いによって監督とのズレがあり、その時に描いた素材が使えなかったとしても、新しい発見と経験が手に入ったことになります。その上、修正をすることでより伝わる表現にも挑戦でき、修正前と修正後の2倍の経験を獲得できるチャンスだ、というようにポジティブに考えるようにもなりました。集団制作の中で「お互いの違いをも楽しむ」ことは、共通感覚を得たり育んだりするコツの一つなのかもしれません。

共通感覚の内側と外側

 共通感覚の内側、外側か、どの立ち位置で表現するべきか、という選択とその是非を問われることもあります。制作している作品において、「誰のために、誰に向かって、何を表現するのか」「どのような結果を期待するのか」などということにも関係しますので、その前提条件がないこの場では一概には言えません。
 しかし、自分自身の中に存在したり生まれたりした言葉にならない感情やイメージといったものを、あえて共通感覚の外側で、既存の表現に収まらない方法で表現したい、作品を創りたいという欲求が、表現を追求する過程で漏出してくることは、ままあると思います。内在するものをも伝えたいと思えば思うほど、技術と表現の限界に出会い、その壁を越えたくもなるものです。
 表現の歴史は、発見の歴史でもあります。絵画の世界でも、モネやゴッホといった印象派は、当初はその表現への挑戦を認めてもらえませんでしたが、今では多くの人たちがその表現を理解できるようになり、受け入れ、堪能しています。現代の抽象絵画は、絵画に携わる人であっても「実は7割はわかりません」と言う人もいますが、その絵と「通じ合えた」人にとっては、作品はとてつもない宝物となります。
 アニメーションにおいても、同様のことは言えると思います。常に表現の可能性を追求し発見することは、日本の商業アニメーションにおいても不断なく行われ、選択されてきました。不特定多数の7割~8割に受け入れてもらうことを要求されることもある、いわゆるエンターテインメント業界の中にいる私も、既存のパターンでは表現できず、試行錯誤してきました。これまで描いたことのない方法で描いてみては「この表現ならばギリギリ伝わるのでは」「いや、これはやりすぎで伝わらないのでは…」「(自分を)もっと解放しても良いのでは…」という自問自答を繰り返し、共通感覚の内側と外側の行き来を繰り返すこともありますし、監督から既存の表現の中に自分が感じたことのないエッセンスを織り込む表現を要求されることもあります。
 人には観せることなく自分のためだけに創る作品や、観客に理解されなくてもいいのだと覚悟を決めるなら、全てを共通感覚の外側だけで創るという選択もあるでしょう。エンターテインメントだとしても、茫漠たる観たこともない理解不能な表現を必要とするならば、共通感覚の外側を探す必要が出てくるかもしれません。不特定多数に対し、手にとるように日常を感じてもらう理解が必要なときに、「手にとるように」というところに集中しすぎるあまり、自分の個人的な感覚にこだわって共通感覚の外側での表現欲求に身を任せれば、日常芝居であっても多くの人には受け入れられない表現になる可能性もあります。
 一方で、共通感覚の内側に固執したり既存のよく知られた手法での表現に身を流されるままに任せたりすれば、多くの人に理解されやすくはなるかもしれませんが、発見のない退屈な表現になるかもしれません。ここは本当に難しいところで、追求すればするほど、創り手の性格によっては、その表現の選択には勇気と覚悟が必要な場面になることもあります。
 私はときどき、映画の日常芝居の中であっても既存の表現に加えて、自分の体感をより鮮明に伝えるために、観た人が気づかないところで挑戦をすることもしています。もしかしたらこれは、既存の表現を良しとする人から見ると「外側」に位置するのかもしれません。私にとっては、いつも表現のために一歩踏み出すかどうかの決断力が必要な場面です。私が長く仕事で仕えた監督は元アニメーターなので、その挑戦を見破ると、小さな声で「うん、わかる。大丈夫」と言っていました。共通感覚の内側にギリギリ入っている、ということなのでしょう。
 一つだけはっきり言えることは、決して天才ではない私が共通感覚の内側と外側を使い分けて集団制作での創作に参加できているのは、日々の仕事の中でさまざまなアニメーションを描き、監督や仲間と議論し、意識的に共通感覚を獲得しようとしていたからだと思います。「伝わる」のか「伝わらない」のか、「今ここではどう表現するべきか」を考え、今現在もさまざまな表現の挑戦と選択をしていますし、できたアニメーションを後輩や周りの人に見せて、率直なフィードバックをもらっています。
 ある映画が完成して3年くらい経ったある日、仕事中に監督から「あれは良かった」という言葉を頂きました。挑戦に対する評価には、やはり時間がかかることもあるようです。もう少し、早く言ってほしかったと思いましたが…(笑)。ある集団の中での、ある一定程度の共通感覚を理解したからこそ、それと隣接する多くの人と共有する共通感覚の中(内側)と、伝えにくく理解されにくいかもしれないが内在するものを表現した部分(外側)を意識的に使い分けていたとも言えるのかもしれません。
 もし今、自分の経験からみなさんに何か伝えるとしたら、「人と出会い生身で色々なことを経験し、良い仲間や師匠を見つけてたくさんアニメーションを作り、アニメーションで遊びましょう。そしてそれを見せ合い、フィードバックし合い、好きな作品はきちんと心に持った上で、試しに好きではないと思う作品も努力して観てみて、世界を広げてみてください」。そして、「創り手としてどのポジションに立つとしても、恐れずに表現し、技術を追求してアニメーションと向き合ってください」ということでしょうか。



本書では、 豊富な作例をもとにしたワークショップや講義を通じて、アニメーションの動きを描くために必要な考え方を学ぶことができます。例えば、「立ち上がる」あるいは「歩き」の動き一つ取っても、様々な表現の可能性があることがわかります。いくつかのレッスンを通じて、ぜひ自分なりの表現を探ってみてください。

「Part 1 「上手い」とは?「表現」とは?」より
「Part 5 演技をつくる」より

そのほか、ベテランのアニメーターたちが、現場や作品で培った経験をもとに語る講義や座談会も読み応えがあります。アニメーションに興味のある方や、自身の表現に行き詰まっている描き手の方は、ぜひお手に取ってみてください。

【おしらせ1】
本書は、文化庁のメディア芸術分野の取組として10年以上続いてきた人材育成プログラム「アニメーションブートキャンプ」の講義を書籍化したものになります。実際にワークショップへ参加希望の方は、ブートキャンプの公式サイトにて、今後の開催情報をご参照ください。
【おしらせ2】
6月9日に、『アニメーション 〈動き〉のガイドブック』、『井上俊之の作画遊蕩』(KADOKAWA)の刊行記念トークイベントが開催されます。本書に原稿が収録されているシンポジウムに登壇されたアニメーターの井上俊之氏と、本書の共著者の稲村武志氏が、「キーポーズ」について語ります。(※すでに参加受付は終了していますが、キャンセルによる追加募集がある場合はこちらのアカウントからアナウンスがありますのでご参照ください。)
また、6月22日には、井上俊之氏と、本書の共著者の竹内孝次氏による上映&トークイベントも開催されます。

【書籍情報】
アニメーション 〈動き〉のガイドブック 伝わる表現の基礎講座
定価:本体2,800円+税
仕様:B5判/208ページ
発売日:2024年03月27日
著者:竹内孝次、稲村武志、布山タルト
ISBN:978-4-8025-1272-5
発行:株式会社ビー・エヌ・エヌ


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