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今ふりかえる極東ロシアの旅⑥ 朝鮮民主主義人民共和国との関係を感じる

2017年の夏、私は極東ロシアの旅に出かけ、「暗い」「冷たい」「怖い」というロシアのイメージを随分と変えた。それから約5年後、この原稿を書いている2022年4月の時点で進行しているロシアによるウクライナ侵攻はいかなる理由があっても正当化できるものではない。しかし、いまの時点にたって当時、極東ロシアで見聞きし、感じたたことを伝えることは意義があることだと考え、何回かに分けて極東ロシアの旅をふりかえることにした。

 私が2017年に極東ロシア、ウラジオストクを訪れたときは、地理的にも近い朝鮮民主主義人民共和国とロシアとの関係を感じさせる事物と出会った。

ウラジオストク港に停泊するマンギョンボン号

 その一つが、ウラジオストク港だった。ウラジオストク港は、鉄道のウラジオストク駅と陸橋で直結していた。ここには、国内外の船が寄港していた。海外からの大型のクルーズ船がやってくるときもあったそうだ。

 私が散歩に立ち寄った時は、ちょうど北朝鮮のマンギョンボン(万景峰)号が入港していた。思ったよりも小さかった。船体はふるく歴史を感じさせた。

ウラジオストク港に停泊する初代マンボンギョン号


 どうやらこれは1971年建造の初代マンギョンボン号のようだった。初代のマンギョンボン号は在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業に使われた。2代目のマンギョンボンは1992年に建造され、北朝鮮の元山と新潟との間を不定期に往復し、在日朝鮮人の祖国との往来や朝鮮学校の祖国訪問修学旅行などに使われてきた。しかし、北朝鮮のミサイル発射実験や地下核実験を理由にマンギョンボン号を含む北朝鮮の全船舶の日本への入港が禁止になったことは、皆さんご存知のとおりだ。

 その当時、プーチン政権は、西側諸国に同調して北朝鮮を徹底的に孤立させて追い込んでいくのではなく、こういう形で繋ぎを維持していこうとしていたのだと思う。

北朝鮮国営レストランへ行く

 あの当時、ロシアには約35,000人もの北朝鮮からの労働者が出稼ぎとして働いていたが、そのうち約10,000人がウラジオストクをはじめとする沿海州地域で働いていた。また、これらの出稼ぎ労働者の85%以上が建設作業に従事していたということだ。

 そのなかの特別の存在として、ウラジオストクには、北朝鮮国営のレストランがあるという話題をネット上で読んでいたので、私も興味本位で行ってみることにした。

 ただ、市街地から少し離れたところにあるので、どうやって行ったものか、迷った。タクシーで行けば簡単なのだが、ネット上の情報ではロシアのタクシーにはメーターがなく、全て乗る前に交渉が必要なので、初心者は料金が明確なバスにすべしと書いてあった。このタクシーについての情報は後から必ずしも正確でない事がわかったが、この時は何としてもバスに乗る事を考えた。

 そこで、Googleマップにあらかじめ調べていたレストランの住所を入力して、現在地・現時刻からの経路を検索すると、60番のバスに乗って3停留所5分、停留所までの徒歩や待ち時間を合わせて20分と出た。

 これは、意外と近い! Googleマップの経路検索は国内と全く同様に使えた。

 かくして、ようやく北朝鮮国営レストランに着いた。その名もズバリ、「ピョンヤン」。

 でも、入口が淋しげで、人の気配を感じさせないので、「あれ、せっかく苦労して来たのに定休日かな? あるいは、経済制裁にロシア政府も同調して営業を停止させたのかな?」などと勘繰りつつ、ドアを押すと開き、昼前だったがすでに数組のお客さんがいた。

淋しげなレストラン・ピョンヤンの入口

 うわさどおり、北朝鮮タイプのシュッとした美人のウエイトレスさんが迎えてくれて、席に案内された。

 室内は地味だが清潔で、静かな音楽が流れていた。

 メニューを見ると日本語も書かれているので、わかりやすかった。日本人のお客さんもそれなりに多いということだろう。

メニューには日本語も書かれていた

 夜8時からは、ウエイトレスさん達による歌のショウが開催されるそうだ。

 コリアのビールと海鮮冷麺を注文した。

 まず、出て来たのがビールはなぜか韓国製。ウエイトレスさんが笑顔でグラスをビールについでくれた。そして、突き出しのキムチがすこぶる美味しかった。

ビールとキムチ

 それから冷麺が出てくるまでえらく待たされた。ロシアのレストランはだいたい出てくるのが遅いので、我慢して待っていたが、待ちきれず、「ちゃんと注文通ってますか?」と聞こうかなと思った瞬間に冷麺がでてきた。

ピョンヤン冷麺

 これもまた、辛いばかりではなく、独特の旨味があり、大満足だった。

 向こう側のテーブルに座っていた韓国人2人とロシア人2人のビジネスマン風のグループが座っていた。あの当時のウラジオストクは、北朝鮮だけでなく、韓国、日本、そしてアメリカなど国際的な交流の要衝だったではないかと感じる。向かい側の韓国人とロシア人のグループは、ウエイトレスのお姉さんにねだって記念写真を一緒に撮らせてもらっていた。しかし、私は気が小さいので、そこまでお願いできまなかった。

 この店は、国営企業なので、ウエイトレスのお姉さんたちをはじめ従業員さんたちは国家の責務と、もちろん自分自身の家族への責任を背負って仕事をされていたのだろう。明るい笑顔の向こうに、そんな背負っているものの重さを感じた。

その後の中ロ関係

 私が極東ロシアを訪問した直後の2017年9月、国連安全保障理事会は、北朝鮮への制裁強化決議を採択した。北朝鮮の国外労働者に対する新たな査証(ビザ)の発行を禁止し、2019年末までに北朝鮮労働者を本国へ送還するよう義務付けた。これに同調して、ロシアも2017年末には北朝鮮から新たに出された9,000人の労働者の出稼ぎ申請を却下したことが報道された。

 その後、極東ロシアへの北朝鮮からの出稼ぎ労働者な数は激減したというニュースもあれば、コロナ禍で北朝鮮が国境を閉鎖したために----別の言い方をすれば国境閉鎖を口実に----多くの北朝鮮出稼ぎ労働者が極東ロシアに留まっているというニュースもあり、どちらが正しいかは判断できない。

 あの北朝鮮国営のレストラン「ピョンヤン」はどうなったのか? 気になって、2022年4月15日の昼、Google Map で検索したところ営業中だった。読者からの評価は3.9と割と高い。好評価のコメントも多い。北朝鮮制裁やロシアの同調、新型コロナウィルスの感染拡大、それから巡り巡って、ロシアによるウクライナ侵攻など、この5年間でも世界は動き続けてきた。あのウエイトレスさんたちはどうしているのだろうか。

2022年4月15日時点のGoogle Mapより

<今ふりかえる極東ロシアの旅⑤今ふりかえる極東ロシアの旅⑦>



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