見出し画像

さみしくなるなぁ。

みなさんおはこんばんにちは。とりもちです。
今日は男子会にお呼ばれというか、後輩から熱烈にオファーをいただきまして参加してきました。なんかやりたいことやってるなって空気がすごい懐かしいし、最後に参加したのは5年前くらいですね。
ちょうどコロナのせいで開催できずきてたので本当に久しぶり。
肉ばっかり食ってました。おいしかった。炭水化物摂取しないで正解だった。後輩とゆっくり話ができる機会はこれで最期かなと思いながら。
なつかしい感じに浸り、戻ってこないようにしていかなければと決意を新たにしました。

看護師になって8年。毎日が必死だったなと。
3年目まではルーチンから検査の介助、準備物、失敗してトラウマになった検査とか医師の検査介助で怒られながらも学んだ記憶、初のプリセプターで夜勤の説明をしないままプリセプティに夜勤に入らせて遅刻させてしまったりだとか。失敗続きで毎日が必死でした。
私の性格的に失敗が怖いので、就業前残業なんて当たり前でした。そんな姿勢も周りに評価されていたのかなと今では思いますがあの当時は本当に怖い先輩しかいなかった。
後輩には失敗して自信を無くしてほしくなかったからいっぱい説明したり、振り返りを行ってあげてました。男だから警戒されたかもしれないし、うざいと思われたかもしれないけれど。プリセプティも夜勤が普通に入れるようになって一安心。既卒で同期の看護師さんには色々とお世話になって。

同期の中で一番仕事ができないのは…なんて噂がなぜか立っていて、そうはなりたくない一心で動いてました。同期にも後輩にも追いつかれたくも追い越されたくもなかった。まともに眠れる日は8年間でついぞこなかったな。

4年目から楽になるよと既卒同期の人から言われていたけれど、コロナの襲来でてんやわんや、戦場のような毎日に頭の中でアラームの音だけが響いてました。おちついてくれば他部署の手伝いに駆り出されたり。他部署のよく知らない看護師にペコペコ。そうこうしているうちに元の部署は解体。
また新しい展開に四苦八苦。みんな頑張ったなぁ。先輩もすごいや。
何歳になっても学ぶ姿勢っていうのはすごく勉強なった。

就業した8年間でお看取りした患者様は数多く、今でも思い出そうとすると顔と名前が浮かんできます。
初めての看取りは急変で2人同時、アセスメントがまともにできず一番怖い先輩にしかられながら、泣きながら対応してました。
「怒られる」というのは「まだ自分に可能性を感じてくれている」のだという親の教育がありましたから柔軟に受け入れてこれたのかなと思います。

さみしさもあり、お腹いっぱいってのもあり。
一旦私は医療から離れますが、3年をめどにもしかしたら戻ってくると。
よかったよかった。

今回は以上。酔いすぎてまとまりない文章で草。ではー。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?