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LINEヤフーアカデミアさんで、「女性リーダー」としてお話したこと。

最近、「自分の人生」や「生き方」を振り返り、人に伝える機会が連続して発生しました。
一つは2024年2月3日、4日に横浜で開催された「YOXO FESTIVAL 2024」の中で行われた「YOXO FESTIVAL FUTURE PITCH」。
実行委員であり、司会である身でしたが、久々に人前でピッチさせていただきました。

YOXO FESTIVAL FUTURE PITCH

2つ目が、この記事のタイトルにもなっている、LINEヤフーアカデミアさんです。「LINEヤフーアカデミア」は、言わずと知れた企業内大学の「Yahoo!アカデミア」の現在の名称です。ヤフーさんは現在「LINEヤフー」と名称を変えて、ヤフー、LINE、ZOZO、PayPay、アスクルなど、様々な企業の方たちがグループ会社として所属されています。「LINEヤフーアカデミア」は、そんなLINEヤフーさんの企業内大学です。

この中に「女性リーダークラス」というコースがあります。なぜ「女性」なのか、そのクラス名に込められた思いは、ぜひ学長の伊藤羊一さんの記事をご覧いただけますと幸いです。

光栄なことに、こちらのクラスから、「身近な女性リーダー」として登壇してほしいとお話を頂いたのは昨年秋。そこから、なんとなく自分の生きざま、価値観、信念について想いを馳せながら、当日を迎えました。

私は、比較的自分の人生を公にしており、都度、そこからの想いや学びを文章にしてきました。が、それは出産以前の話で、特に私の場合、独立、法人化、出産が2年の間にぎゅぎゅぎゅっと発生しており、しかもこの期間中に新型コロナウイルス感染症もあったことで、いろんな経緯が断絶されているのは否めません。独立のときに、それまで書き溜めていたブログから、情報の拠点を会社ブログやnote、外部の媒体に移したことも情報の断絶を生んだかなと思います。ちなみに、過去のブログ「道はローマまで続いている。」は一応今も公開しています。

ブログ「道はローマまで続いている」

そんなわけで、改めて、自分は何者で、何を目指して生きているのか、ちょっと長文になりますが、LINEヤフーさんに頂いた貴重な機会を活かして、まとめます。


改めて、私は、当社は、何者か。

あまり自己紹介的な部分に時間は割きたくないのでさらっとだけ。

株式会社Kiss and Cryは、いわゆるPR会社として立ち上がりました。

「知られていない」は「もったいない」

素晴らしい企業・製品・サービス・働く人々。その魅力を、広報のチカラで世界に発信します。

というのが、独立以降、ぶれない方針です。
社名の由来をよく聞かれますが、フィギュアスケート好きというのもありますが、想いとしては下記になります。

一言でいうと、

「御社の想いを世界に向かって一緒に叫ぼうぜ!」

という感じです。

自分の人生をライフラインチャートにしてみた

なんせ、LINEヤフーのみなさんへの講演です。これはやっぱり、学長である伊藤羊一さんが人生を振り返るうえでおすすめしているライフラインチャートを書くのが一番わかりやすいだろうと思って、書いてみました。

ちなみに「なんでいきなり人生振り返るの?」と思う方もいると思うので説明すると、自分の信念を語る上で、これまでの生き様に触れないことには薄っぺらい話になってしまうと思ったからです。
特に私のビジネスは特別なプロダクトがあるわけでもなく、私自身が唯一のコンテンツなので、まずはライフラインチャートから始めまして。

ここから、自分の人生を3つのフェーズに別けてかいつまんで説明します。

■幼少期〜大学まで

300年続く農家の本家、ご近所も親族もみんな農家
→ものすごい男尊女卑&家制度の社会(当時はそれが普通だと思っていた)
→男性の役に立つ女性が憧れ、そうなれるように精進した

幼稚園から中学校入学時までいじめ。高校までは喘息に悩む。一方で成績優秀。大人社会でポジションを築く。
→自分の中で生きるバランスを取っていた。

勉強しか拠り所がなかった自分に「小説家」という夢が出来て、すべての時間を全振りしてプロを目指す。
→もの書きになるには「経験こそすべて」と考えて、社会に出ることを決意。夜間大学へ。

■大学〜就職〜結婚・離婚

大学に入ると同時に作家への道の足がかりとして出版社勤務(19歳)
→ビジネスの楽しさを知り、潔く筆を置く。

出版社に就職の道があったのに就活を経験してみたいと考え、結果呉服屋に就職(22歳)
→正直全然合わなかった。「経験こそすべて」が裏目に出たケース。それもまた経験。

仕事が合わなかったのと、「女は23歳で結婚するもの」と言われていたという理由で結婚を選択。(23歳)
→寿退職。出版社に戻って、家庭優先のためパート勤務開始。
→夫が心身の不調から人格変異。家庭内暴力へ発展。1年かけて脱走・離婚。人生の転機を迎える。

■仕事復帰〜PR業界〜独立〜出産

出版社に正社員として復帰(24歳)
→営業内勤を経て社長直属の経営企画室長に就任。好き勝手やらせていただいた。
→勉強会ブームに乗ってあちこち顔を出したり、日本最大級の読書会の幹事をやったり、勉強会を主催したり。

東日本大震災発災(28歳)
→イチから作ったPR施策のポッドキャストがスタートと同時に中止に。
→せっかく本を作ってもマーケやPRの知識がないと不毛だと考えて会社を離れる決意。PR業界へ。
→同時に東日本大震災の復興支援に携わるようになる。

PR業界へ(29歳)
→優れているのに日の目を浴びていないプロジェクトや人物をクライアントと一緒になって世に出すのは天職。
→コンサルタントという職業が性に合っていた。
→復興支援や勉強会の人脈経由で仕事が途切れず入ってくる。

より自分の価値を活かしたいと思い独立(35歳)
→尊敬する10人の先輩と対話し決意。話を聞いてもらうだけじゃなく、複数の方から仕事をもらう。
→経営陣に加わるつもりで本気で働いた会社を離れる。
→コロナ前からテレワーク・ワーケーション当たり前の暮らしへ。
→以来、一度も営業せずに紹介のみで活動。

パートナーとの間に子どもを授かる(37歳)
→突然の母親スイッチ。仕事との両立に燃える。
→個人事業主を法人化。
→産後2ヶ月で仕事復帰。生後8ヶ月で初の二人出張。

現在41歳。子どもは3歳半。相変わらず仕事に生きる。

以上、ダダッと人生を振り返ってみました。

私が自分の人生で得た教訓。

で、ここからが本番です。
私なりに、自分の人生から得た教訓、大事にしていることを列挙します。
色々あるんですが、4つに厳選しました。

1. 人は、明日、死ぬかもしれないと知っている。

超当たり前のことですが、人は明日死ぬかもしれません。私の喘息は結構酷くて、小学生の頃は、週に1回は夜中に病院に運び込まれるような生活をしていました。「メメント・モリ」が、私にはリアルだったんです。なので、子どもの頃から明日はないつもりで生きる、ちょっと変わった人間でした。

2. 知識も勉強も大事だけど、経験がすべてと知っている。

幼稚園くらいから物語を紡ぐことに興味を持ち、高校時代は本気でプロを目指していました。しかし、何を書くにもディテールがふわっとしてしまいます。「これは経験を積むしかない。チャンスがあったらとりあえず飛び込もう」と思うようになりました。

3. 他人も、自分さえも、変わらないものはなにもないと知っている。

私の夫はまじめで優しい人でした。結婚して◯年で家を買おうね、とか、人並みに未来を語っていました。が、1年で離婚しました。そして、人並みに愛を誓った相手を愛せなくなる自分を知りました。不変なものなんてなにもない。だからこそ今を大事にしなければいけない。明日には世界は反転しているかもしれない。明日には私の情熱は消えているかもしれない。

一方で、不変だと思っていたものすらあっさり変わるのだから、何かを変えたいと思ったら、いつかきっと変えられる。家庭内でトラブルを抱えていた際、私は「家の問題(恥)は家の中で解決する」「夫の問題は妻に原因がある」と考えていました。でも、私の旧来的な男女観、結婚観も、たった1年の経験でかなり変わりました。変わろうとすれば、人は変われる。

4. 人は自分が幸せでないと、他者に対して優しくできないと知っている。

これも結婚中の話ですが、姉夫婦の異変に気づいた弟が、うちに探りを入れに訪問してくれた事がありました。なぜかマクドナルド買って、買いすぎたから持ってきた、という意味不明の理由をつけて突然来てくれました。
私は、この優しさを受け止めることができませんでした。「大丈夫だから!1人でなんとかできるから!」と半ば追い返すような対応をしてしまったのです。その時、「自分が幸せではないと人に対して優しくできない」つまり、人が幸せになろうとすることは身勝手でもなんでもなく他人のためにもなるし、みんなが自分を幸せにできたら、もっと世界は良くなると思うようになりました。

私が実現したい世界

結構あちこちで使っている写真ですが、2017年頃にバリ島で撮影した写真です。これが、私が実現したい世界観です。

バリ島のクタビーチにて

パリピです。もちろん、知らないおねえさんたちです。
思い思いに好きは服を着て、楽しそうにポーズを決めている。
こんなふうに、みんなが好きなように自分を表現して、人目も気にせず幸せを振りまけたら、見ているほうも幸せになると思ったんです。

■自由であり続ける

私が一番好きな言葉は「自由」です。
育った環境や、染み付いた価値観や、時間的金銭的制約や、いろんなものから自由になりたい。そして「好き」や「心地よい」を追求したい。

それは決して、ただのワガママではないと思うんです。
自分が自由な状態で、様々なストレスから開放されていたら、自分のパフォーマンスは最大化します。そしたら、もっといい仕事ができるし、もっと人に対して優しくできる。
だから、社会のためにも私は自由であったほうがいいと思うのです。

そしてそれは、何も私だけの話ではない。
多くの人が、いろんな心身の制約から解き放たれたら、あのバリ島の写真のように、ハッピーな世界が訪れるのではないかと思うのです。

■人生の主役はあなただけれど、ヒーローになる必要は必ずしもない

人生は一度きりしかありません(多分)。
そして、その人生は、私だけ・あなただけのものです。でも、「私は私の人生を生きられている」という人は、案外少ないように思います。
この世界は、あなたの五感を通してしか感じられません。そして、それはあなたの脳や心で処理されて「世界」が作られます。そういう意味では、実は世界って一つしかなくって、その中心にいるのは、「あなた」です。ここはあなたのための舞台なのです。そう思ったら、もっと好き勝手に、自分の人生を生きてもいいと思いませんか?

ちなみに、これは講演中もっとも反響があった言葉の一つですが、人生の主役はあなただけど、決して偉大なヒーローにならなきゃいけないわけではないと思うのです。「主役」というと、ヒーロー・ヒロインを想像して「いやいや、私無理!」と思う方もいるみたいですが、ヒーローもいれば、村人1もいれば、放浪者もいれば、だらけて日々を漫然と過ごす人もいる。それでいいのです。大事なのは、「今、私は、自分の意志で、自分が好きで、こういうふうに生きている」という納得感を持つことなのではないかと思います。
極端な話、幸せになりたくなかったら、ならなくていいんです。

■一つの「生き様」として生き続ける

えらく長文になりましたが、最後にまとめです。

私は、人生に勝ち負けがあるとしたら、自分の心と素直に対話できて、心の声が言う通りに行動できる人が勝ち組だと思っています。

世界は脳と心で捉えられています。捉え方は人それぞれです。なので、答えは自分の中にしかありません。ひたすら自分と対話して、素直に行動するのです。

ちなみに、私がこういう考えに至ったのは、結婚〜離婚の経験と、追い詰められた私に友人が渡してくれた「神との対話」という本のおかげです。気になったら読んでみてください。タイトルがなんですが、決して宗教本ではないと私は思っています。

冒頭にも書いたように、私には具体的なコンテンツがありません。優れた製品を生み出しているわけでも、人の心を動かすアートな活動ができるわけでもありません。私の武器は私自身。職業「落合絵美」、生き様「落合絵美」です。

必死に生きる。
それしかないし、それが楽しい。

そして、それが誰かの参考や救いになるかもしれない。

そう思って、今日も、明日があれば明日も、私は必死に生きていく。

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