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コトバを深掘りする Day 20. 「違い」 II


今日は、「違い」にフォーカスして考えるworkの2回目です。

私は、日本で仕事をしている時や、プライベートで周りの人達と話している時に、

「普通はこうだよね」 とか 「こうあるべきだよね」というコトバを、度々耳にしてきました。


2018年、仕事を辞めてアメリカに引越して、しばらく経ってから、ある時ふと「普通はこうだよね」とか「こうあるべきだよね」というコトバを聞く機会がないことに気づきました。

それを意識したのは、渡米したあと久々に、日本にいる友人達とZoomで話した時でした。会話の中の「こうあるべきだと思う」とか「普通はこうじゃない?」というコトバ達に、とても違和感を感じたのです。そして、それはきっと、久しぶりにそのコトバを耳にしたからかもしれません。

今はそう感じてる私でも、以前仕事で打合せをしていた時に「普通ならばこうですが」や「こうあるべきだと思います」と私自身、発言していた記憶があります。

ですが、それと同時に、そう思っていたことでストレスを溜めていた記憶もあります。なぜなら「こうあるべきなのに、何故こうじゃないの?」とか「普通はこうなのに、何故それができないの?」と考えること自体が、私自身ストレスになっていたからなのです。

そんな経験もあり、辿り着いた今。

「普通はこう」だとか「こうあるべき」というコトバを自分の中から無くすことで、気持ちがだいぶラクになった気がします。「よくあるケース」や「習慣」はあると思いますが「普通はこう」と決めつけることは、今の時代、ある意味危険なことかもしれません。
何故ならば、生まれた年も場所も国も何もかもが違う中で、何が「普通」なのか、判らない世の中だからなのです。日本はもう鎖国はしていませんし、日本には世界から色々な人が移り住み、共存しています。
今現在のGDPランキングで、日本が世界の第三位だったとしても、一位のアメリカ、二位の中国だけが日本よりすごくて、四位以降は日本より劣っているわけではありません。ランキングはランキングをつけたい人がしているだけで、あなたが実際その国の人に接したことでつけたものではないからです。(GDPで比べるのは、例えば、の一例ですが)

これまで私がしてきたのは、「普通は・・・」とか「こうあるべき」というコトバが頭に浮かんできた時、私自身に「そう思わなくていい。普通って、何が普通なの?」と言ってみることでした。そして、それを何度も続けていくことで、段々と、私の中で、そのコトバの存在感が薄くなっている気がします。それによって、以前よりだいぶストレスが減ったように感じ、とてもラクだと感じるのです。

さて。
ということで、今日のお題はこちらです。

あなたは普段の会話の中で 「 普通は 」 とか 「 こうあるべき 」 というコトバを使ったことはありますか?

また、あなたの周りの人達はそのようなコトバを使っていますか? その時の例を教えて下さい。


もしそういった例があったとしても、それが「ダメ」なわけではありません。

ただ、もしかしたら、

それを言うと、「潜在意識の中で、新しい可能性を阻む」ことになっているかもしれませんし、「ストレスがいつの間にか溜まっている」かもしれません。

何故なら、あなたの発するコトバは、あなたの全身に響き渡り、身体中に影響を与えているのです。

まるで、素晴らしい音楽が、あなたの全身に響き渡り、ステキな影響を与えるのと同じように。


さて、それでは今日も色々なお話を伺えるのを楽しみにしています。

どうぞ皆さま、良い一日を過ごされますように ( ◠‿◠ )


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