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水の接点

空は青く河は灰、橋梁の傾斜に静止軌道からの計測を想う

 昨日の川釣りはいまひとつだった。事前のネットで釣りに適しているということは調べたのだが、いざ現場に立ってみると多いに戸惑う。浅い釣り経験と箇条書きにできる程度の情報からでは全くシミュレーションが不正確なのだ。
 そこで今日は自分で現地を見に行くことにした。自転車で河川敷を走って、私が想定する釣りに適当か見学するのだ。

 清々しく空は晴れ。土手にも河川敷にも人は多い。風も吹いていれば事もなし。
 河川敷は広く面積がとられているが、河岸はどこも惨めなくらいに切り落とされ、そうでない場所は安易に立ち入れない姿をしている。治水を考慮すれば都市部で護岸工事がされてしまうのは仕方のないことなのだろうが、あまりに水と土が断絶している。水に近付ける場所は少なそうだ。

 一つ目の橋から二つ目を潜り、三つ目を目指す。河岸はどこもほぼ塗り固められてしまっているがいくつかは消波ブロックが沈められている箇所もある。そういう場所であれば釣糸を垂らす余地もありそうだ。

 それでも河口に近い地域であれば海の干満で河面の水位が変わる。そして白昼夢のような干潟が現れる。河はその水面の下に幻覚のような地面を隠していた。あれは水の領域、足跡は必要としていない。
 いつもは自動車でそれとなく通りすぎるだけの橋を自転車で渡る。橋のアーチ、広さ、あらためて巨大な構造物であると呼吸をしながら感じとる。

 私は科学管理された都市より自然が好きだ。しかし同時に巨大構造物にも惹かれるというGHIBLIcな相反するものも持っている。白い橋は美しいが、亀裂から草が生え橋脚を苔が覆い蔦がワイヤーに置き換わったらもっと美しいだろう。

 地図では河川敷であるとしか書かれていない場所でも、実際に立ってみるとその顔は驚くほど多様だ。河川と市街地の緩衝地帯であるため、平らな土地であることが第一義、道があってもなくても文句は言えない。いっそもっと生い茂ってしまえば面白いのに、とも想う。

 いつか全てが洗い流され、河が自由に流れる時が来るだろうか。その時こそ魚は河面に歓喜の涙を流すだろう。



今日の英語:Causeway

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