青嵐透

しつこく日記 日々の雑感と同居生物について テト:黒猫、女子、推定2017年生  マ…

青嵐透

しつこく日記 日々の雑感と同居生物について テト:黒猫、女子、推定2017年生  マユ:キジトラ猫、女子、推定2016年生  スーさん:コーンスネーク、オリジナル、性別不明、2017年生  リンさん:ヒョウモントカゲモドキ、レインウォーターアルビノ、男子、2019年生

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電基日記

テキストサイト時代に書いていた日記を2020年、10年ぶりに再開して今のところ毎日分更新 主な内容は日々の雑感と同居生物について 現行世代 テト 黒猫、女子、推定2017年生2019年お迎え 触らせないがおねだり上手の魔性のバステト 臆病だが好奇心旺盛、煮干し派、マユが好き マユ キジトラ猫、女子、推定2016年生2020年お迎え 眼光と食欲のウルルの地母神 高密度の体重と高い運動能力を持つ、鰹節派、テトが好き スーさん コーンスネーク、オリジナル、性別不明、2

    • ネコーヒー:エスプレッソ #16杯目

       ノネコが生態系に圧倒的な悪影響を与えているのは承知している。しかしそもそも猫がその土地に存在するのは人間ありきであるし、今私がいるのは切り開かれ植林された貧弱な人工林であるし、健康そうということは人間に世話されているということだろうし。  と、理屈を積み重ねてみたが、要は旅行先で散歩中に猫を見かけて嬉しいということだ。  ここいらの気温は標高0mエリアより2,3℃ほど低いが、それでも遭遇した猫は健康状態に問題があるように見えない。おそらく飼い猫か地域猫なのだろう。  で

      • 川底の歩行

         五月に五月にらしく新緑深い場所へ行った。私が目的地を決めたわけではないが。  この時期に吹く風が一番水の音に似ている。木々の下、頭上を通り抜ける風の音は川の流れる音とまがう。  新芽が羽化し、水中の卵が開花する。私でさえ深呼吸すれば肺の瑞々しい生命力が満ちる。  道が世界の明るく広いどこかへ続いている、そんな予感がする季節。  風と雨、陽射しに光と生命が乱反射する。透明な眩しさ、うたかたの瞬間。 今日の英語:Deep breath

        • そして箱庭を見下ろす目は宇宙から

           雨は好きだが外出には向かない。と思っていたのだが、ジオキャッシングをしていればいくらでも口実をつけて外出できる。いや厳密には目的地か。ジオキャッシングであれば「どこへ行こう」の最初の一歩を解決してくれる。  雨の日は外を歩く人間が少ないので散歩には最適だが、残念ながら写真を撮るには難易度が高い。やはり明るさ鮮やかさは晴れた日の光には敵わない。  かといって雨の日の美しさを捉えるのも高難易度。雨の日は他人の足音がしないことを堪能するのを第一ににするに限る。  曇った空、

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        電基日記

          ネコーヒー:エスプレッソ #15杯目

           初代の猫たちに比べてテトとマユの写真は少ない。それはやはり多少猫という存在に慣れたことと、テトとマユが人間に気を許していないことが原因だろう。  だからといってテトとマユの美しさが過小評価されることはないのだが、どうしても絵になる瞬間を撮影することが難しい。  たとえばこういった愛情溢れかえる瞬間。互いに緊張関係にあった初代の猫たちではついぞ目にかかれなかった構図なのだが、いかんせん背景が悲惨なまでに汚い。私の部屋だが。  それでもテトとマユの重み充分の愛を目にし写すこ

          ネコーヒー:エスプレッソ #15杯目

          傘の上空2000m

           ジオキャッシングを始めて以来、雨の休日を自宅で過ごすという選択肢がほぼ無くなった。  雨なら雨でと徒歩と電車で行ける場所へ向かい、雨で腕を濡らしながら探索し捜索し、手のひらサイズの解答を手に入れる。至極健全な遊戯なのだが、不審人物に見られないよう心を配らないとならないのだけが欠点だ。  雨はいい。人が少ない、音も少ない。空気中の水と緑が濃くなる。空中の水に光が反射し、空が淡く明るくなる。  こんな風景を見ているのは、今は私だけだという優越感。  人気の無い境内を歩く

          傘の上空2000m

          レプタイトルテ:スパイシー #14目

           痩せているのが目にもあらわ。  今日のリンさん(ヒョウモントカゲモドキ)46.1g。  ミルワーム、ハニーワーム、人工餌、手を尽くせども食欲は戻らない。もう時間しか解決することはできないのだろうか。  その一方、はち切れんばかりの生命力したたるスーさん(コーンスネーク)。  今日のスーさん、1233.8g。  脱皮前排泄前のため1200g台の最大体重。そして私の腕前では捉えきれていないが、鱗の一枚一枚、生命力が漲っている。  どうか少しでも健やかにと祈る。 今日の

          レプタイトルテ:スパイシー #14目

          音消す雨

           雨なら雨と出掛けてジオキャッシング。このゲームは私の健康に寄与してくれていると思う、減量効果については不明だが。  このゲームをしていると雨だからという理由で休日を寝て過ごすことがなくなった。範囲は狭いがあちこち歩き回って、今まで通過するだけだった場所で立ち止まり眺めることができる。  移動手段は自転車第一主義であるが、雨そのものは嫌いではない。通行人も少なく店も空いている。何より、吸気の水分量が増える。森の深さにほんの少し近づいた空気。  雨で全てが水没したら、この

          音消す雨

          レプタイトルテ:スパイシー #13個目

           ケージの掃除くらいせねばとリンさん(ヒョウモントカゲモドキ)の居宅を持ち上げたところ、脱皮に難渋しているのを発見。すぐさま脱皮介助の施術をする。  旧い給湯器で精一杯のお湯を出して脱ぎ残しの皮をふやかす。   気道確保。  今日のリンさん、47.6g。  ケージ内の温度は十分に維持できているはずだが食欲は戻らず。5月になれば変わるだろうか。  そして先週の食事からまだ排泄がないスーさん(コーンスネーク)、大台の1237.2g。  スーさんの体重の変動は分かりやすい

          レプタイトルテ:スパイシー #13個目

          電灯の無い静寂を

           今日は雨は降りそうにないので、ジオキャッシング日和とばかりに外出した。  このゲームが面白いのは探索自体もそうだが、重いもかけない場所へ案内してくれることだ。  窓からの見慣れた景色、電車の窓から車の窓から。その窓から見るだけだった景色の中に立っている。  幼い頃はその窓から見える景色の裏側は、その景色の見せかけを維持するための機構があると妄想していた。そしてその妄想を失った今頃、窓から見える景色の中を歩き回り、見慣れぬ風景に高揚している。  線路の裏側、高架の正体。

          電灯の無い静寂を

          ネコーヒー:エスプレッソ #14杯目

           家の中で猫が幸せに暮らしていればそれでいい、そう思っていた。だからすぐに撫でられなくても構わない、楽しく健康的に暮らしていれば十分、そう思っていた。  実際テトとマユは全く問題なく健康で、仲良く相思相愛で暮らしている。  しかしほとんど人間に撫でさせてくれない、構わない。人間の布団で勝手に寝る、構わない。猫同士で仲好くしている、全くもって構わない。  だが私がいない間に私の布団でイチャイチャして、私が現れると脱兎で消えるのはどういうことだ?生殺しか!  その友好関係の一片

          ネコーヒー:エスプレッソ #14杯目

          写真を撮るとは眼球のこと

           私は「写真を撮るために(特定の)どこかへ行きたい」と思ったことはない。ただ「写真を撮るため今立ち止まりたい」ということはしばしばある。  写真を撮るといっても何らかのサークルに所属ということもなく完全に自己満足のためのもの。しかも撮影のための勉強をしているわけでもないから同じような構図のものばかり撮っている。  それでも日常に美しいものを見つけられる自分、そして美しい日常の一瞬は「ちょっといいね」と思っている。 今日の英語:Everyday

          写真を撮るとは眼球のこと

          ネコーヒー:エスプレッソ #13杯目

           路上に猫はどうあるべきか。人間が交配して造り出した狡猾な捕食者である猫、生態系への影響を考えれば屋外で生きるべきではないのだろう。  しかし“自然”が消え失せた都市で、エンジン音の遠いこの場所で生きていくことは認められてもいいのではないか。  いや、猫が生きていくことに人間の許可など必要ない。人間は勝手に破壊し、管理しているつもりになっているだけだ。  そして私はその傍らに跪き拝謁を求める。  彼女はいかにも眠たげであったが不機嫌ではなかったらしい、私に接触を許して

          ネコーヒー:エスプレッソ #13杯目

          水平の遠く、垂直の遥か

           相変わらず同じような道をふらつき同じような写真を撮っている。  最近の流行は一枚の画像にどれだけ情報を詰め込めるかという傾向があるような気がする。それはそれで技術が必要なのだろうが、やはり相変わらず私はそういうことに関心が向かない。  私が写したいのは世界の広さと、空と水の深さ。  地上にどれだけ物資を集めても空を埋めることはできず、そしてまだ鳥は飛んでいる。  我々が汚した水の底に何が棲んでいるか知らないのに。  車両鉄道のために造られた構造物がふいに神殿のような

          水平の遠く、垂直の遥か

          桜の花のゆきつく先

           桜の写真を撮るなら、夜か水面に限る。  私が撮影した写真を第三者に評価してもらったことはないのでこれは完全に主観だ。ただ夜間や水面に映った桜の姿の方が自己満足度の高い写真が撮れる。  おそらくこれは私が遠近感のある構図が好きであることと同根で、被写体の輪郭を曖昧にすることで“想像の余地”が拡がるからだろう。  あと水面に近付けば写したくないものーー人物やナンバープレート、を遠ざけつつ奥行きを確保できる。ついでに言えば満開を過ぎた桜でもそれらしく撮ることができる。  花

          桜の花のゆきつく先

          水面から空へ

           相変わらず同じ水辺で感動し、同じ構図で写真を撮っている。  それはやはり季節の変化というものが不変に美しく、また不二の変化がそこにあるからだろう。  私が物心ついた頃は鳥と言えばカラスと、スズメとそれと同じ体格の小鳥ばかり。水鳥ともなれば保護された区域に行かなければ見ることができなかった。  今日遭遇したこの白い鳥はコサギ、で正しいのだろうか、K先生のご自宅へバイオリンのレッスンに通いはじめてから遭遇するようになった。メジロやムクドリのような小さな鳥は我が家の庭にもま

          水面から空へ