見ていない遠くで

 私の地元には大きなお寺がある。鎌倉系伝統仏教の寺院で、周囲に末寺が二桁ある程度には規模が大きい。そこでは毎年秋に大きな祭りがある。宗祖に関わる催しなので、県外からも信徒の講がいくつもやって来る程に規模は大きい。
 祭り当日は、車道は通行規制され露店が並び、日が落ちてからは灯りを飾ったいくつもの講の行列が深夜まで続く。素朴な住宅地住まいの人間にこの祭りの作用は大きく、この歳になってなお子どもの頃の浮き足立った気持ちを覚えている。
 しかし地球規模で覆うCOVID-19。9月上旬、最寄りの私鉄駅に「祭りはおこなう、だが露店も講の行列も行わない」旨の掲示を見掛けていた。仕方ないよな子ども達には寂しいだろうが、と。
 そしてそういや祭りは何日だったかと調べてみると、10月中旬、とっくに静かに終わっていた。かつての熱狂もなく奥の間で儀式だけがおこなわれたのだ。おそらく世界中がそうなのだろう。あらゆる喧騒が剥ぎ取られ、核の祈りだけがひっそり執り行われる。その祈りが何らかの作用をすることがあるのだろうか。だが想わずにはいられない。
 それでもいつの日にか。

今日の英語;Ritual

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?