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祖母と私と生と。

つらつらと綴るためまとまらないと思う。とりとめのない、諸々。



年を重ね、やがて高齢になると出来ていたことが出来なくなってくる。より人の世話になり、時に介助され、支えられて生活する様は赤ん坊の頃とまるで同じだ。しかしそれは乳幼児が新しい知識を獲得し、身体がより活発に動くようになるにつれて獲得する様々な動作を尊ぶのとは180度違う感情だろう。出来ないだろう、とどうやって前提に出来るだろうか。強烈に意識されなければ、誰しも出来ると思い動くものなのかもしれない。

そうした結果、事故が起きたりする。その内容は様々だが、かつての出来たが出来なくなっている現状を受け入れるのには(人にもよるだろうが)なかなかの時間を要するのかもしれない。

肌はくすみ、背は曲がる。目の下は落ちくぼみ、頬の赤みは消えて青白い印象を与える。己の踏ん張りだけでは力が足らず、何かを支えにしながら歩く。排泄がままならなくなる。人の手助けをもって脱ぎ着する。口に運べるものはどろどろとした飲み込みやすいものとなり、「生きる」は「生かされる」というニュアンスに取って代わり始める。

人とのコミュニケーションも徐々に減って、やがては何かをするのも億劫になり、ただ食べ、排泄し、横になるということの繰り返しを365日、どうやって楽しむのだろうか。

どうやって、楽しむのだろうか…



祖母が呟いた、「もう生きててもなぁ」と。

入院する祖父の見舞いに向かう道中、足がもつれ転倒した。医師の診断で自然治癒を目指すが、裂けた傷口から流血するのを絆創膏一枚でせき止められるわけもなかった。手についた血を拭い、天を仰ぎ見てはため息が漏れる。一度は「病は気からやで」と声をかけたものの、私には傷心の祖母を癒すほどの言葉を見つけることは出来なかった。

ひとつひとつが困難を極めるなか、モチベーションを保つのは容易ではないだろう。何かをする楽しみは、そこにたどり着くまでの苦労の数々によって簡単にかき消されてしまう。糧となるものが徐々に減る一方で、痛みは増すばかりだ。何を目的に生きればいいのかともし聞かれたら、何と答えたらよいのだろうか。何と、答えられるだろうか。

ばあちゃんはツンデレ、と若い頃はよく思ったものだった。一家で遊びに出掛けると室内がやかましくなるためか「もう帰れ」と叱られるのに、いざ車に乗り込みバイバイと玄関先の本人に手を振ると涙をぬぐいながら「またおいでな」と言われたのは幼い私の心に強い印象として残っている。

祖母が弁当屋で働いていた頃、大好きだった唐揚げをよく作ってくれたものだった。スーパーのデリカコーナーの端に陳列していたモンブランプリンが好きでよく食べたのは、初めて祖父母宅で食べて美味しいと言ってから滞在する期間中はずっと切らさずにそのモンブランプリンが冷蔵庫で冷えていたからだった。食べても食べても無くならない、魔法の冷蔵庫だとすら思ったことがあった。何度も追いかけるように食べる中で薄情な私はそれに飽き、軽率にもう要らないと伝えたこともあった。

小さい頃の近所での買い物シーンや銭湯で共に汗を流した記憶などは残っているものの、社会人になってからは忙しく、あまり顔を出す機会もなかったと今振り返って思う。自転車に跨り颯爽と出掛けていく快活な祖母の姿は、いつしかぽっかりと抜け落ちた時間と共に老け込んでしまった。

隣に腰掛ける祖母に、前向きにひとつひとつこなしながら生きることを語る傍らで、どこかその言葉の軽率さに自分自身が辟易した。薄っぺらい感じが拭えず、励まそうにもうまくいかず押し黙る。身の上話を面白おかしく話したところでなんの慰めにもならないと、検査のため席を立ったその背中を見送りながら、言葉に、考えに、困窮した。

家まで無事送り届け、多少の歓談の後玄関先で「ありがとうね」と見送ってくれたばぁちゃん。笑顔でまたねと手を振った。

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