見出し画像

願わくば杞憂で

先週からバタバタと部屋の模様替えをしていたのがようやく終わり、のんびりとした時間をまた楽しむことが出来る事に喜びを感じる。

朝方は少し肌寒く、スーパーに並んだ季節ものを眺めたり、焼け落ちてくすんだ葉を踏んだ時のパリッとした音、日差しの中にふと秋を香るこの時期がとても好きだ。異常気象続きで温暖化が進む中、日本の四季はやがて二季へと変わってしまうのだろうか…年々秋が積極的に感じ取らなければ無かったものの様に過ぎ去ってしまう季節になってしまっているのが惜しい。

私にとって9月は暑い夏を越え、来たる新たな年を多少なりとも意識する月だ。誕生月でもあるからかもしれない。今という総時間の結び、そして新しい一歩、目標…前を向いてフレッシュな気持ちでまた世界と向き合うキッカケの月。

ぼんやりと手帳をめくりながら、少し先の将来について思い馳せる。

息子が成人する頃はどんな社会になっているだろう…成人年齢は最近18歳に引き下げられた。二年という月日はどれだけの違いを生むのだろうか。私には成人の二文字はとてつもなく大きなものに感じられたのを昨日の様に思い出す。

今ですら、大人という括りで大人だと胸を張って言えるかどうかも分からない。だが学校を卒業し、会社に入って一人また自宅を構え(つまり親の援助を受けない一人暮らし)、自己研鑽しながら家庭・さらには子どもを儲けた。望んでこうなってきたわけではない。否、言い方を変えよう…この道を目指してやってきたわけではない。ただあるがまま突き進んできたことの結果が今、ということである。だが勿論道はこの限りではない。

子どもの頃社会問題としてパラサイトシングル、という言葉を学んだ。どこか恥ずかしいものとして学習・記憶されたような覚えがある。実家に住まい、成人年齢を超えてからも親の庇護のもとかつての子ども部屋などで生活をする姿は今では「子ども部屋おじさん・おばさん」などと揶揄されたりもする。しかしワーキングプアが蔓延り、結婚が遠のく。また子どもが贅沢品となってしまった少子化まっしぐらの現状で誰がこれを責められるというのだろうか。事実私の家族にも該当する者はいるし、経済的また合理的な選択でもあるとすら思う。

幸せのカタチは一つではない。むしろその心のありようによって幾らにも多様性をもつことが出来るだろう。だが選択肢としてそこに広がっているかどうかは、また少し別の問題の様にも感じられる。

子が成人する頃、子育ては無論、結婚すらも贅沢となり選択肢として無くなってはいまいだろうか。独身を謳歌するのもまた良い。ただ子にとってそれらが最善であればなと思う。

私は私で自分自身の老後の蓄えを準備していかなければと奮起する。子にあまり迷惑をかけたくない親心、なのかもしれない。子には子の人生を謳歌してほしい、その為には自分がしっかりとせねばと身が締まる思いだ。また子を含め家族の為の蓄えも並走して用意していかなければなと思う。成功も失敗も「家庭」という括りには無いだろう。ただ安心の場であれればこれ幸いかなと思う。

悲しきかな人は生きるだけでお金がかかる。お金の心配で生きることを諦めてほしくないなと思う。子ながらに自分の生を自由だと思う傍ら、親ながらに生を手放すなと押し付ける矛盾を抱えながら、自身が一番しっかりしなければと、奮い立つ思いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?