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生い立ちから今を結ぶ

子どもの成長をぼんやり振り返ると、たった1年とちょっとなのに色々な変化(進化?)がすごいなぁと毎度思わずにはいられない。

ここから更にどう成長していくんだろう…1年後は?3年後?小学生になったら?中学、高校、成人…未来は無限すぎてキリがない。いい方向に、そして悪い方向にも想像が可能でもちろんいい方向に進めばいいなと稚拙な親心ながらに思うがさてそれは本人の自由かな、と思うところもある。

実質自分はどうだったろうか、この33年…

私は日本生まれの両親日本人、日本国籍の日本人だけど親の仕事の都合で米国で暮らした期間があり、それは後々の自分の生活、性格、様々なものに影響したと思う。

残念ながら息子には同じような体験をさせてあげることはできない(帰国子女的な意味で)けれど、海外の文化に触れるということはどこかのタイミングでさせてあげたいなとは思う。日本の良さもよく分からずに渡米したけど、あっちにいって帰ってきてまた行ってというのを繰り返した立場からすると、行ってみたらその楽しさ、辛さ、さみしさなどいろんな感情に揉まれ、自身の成長段階に合わせて日米双方の良さが比較され、結果的にはどちらも大好きになれた。

日本にいると日本人じゃないみたい、アメリカにいるとアメリカ人ではないし日本人ぽい、とそれぞれの国でどちらにも属さないような感覚だった。自分のナショナリティは何なんだろうと思って大学では心理学を専攻した、それは自分とはいったい何なのかという問いが大きかったように思う。

よく自分にいろんな顔があると不安定になり、一貫した態度をとれないことに苛まれるというのを耳にするけど(実際は自分にはいろんな顔があっていい、母の顔、娘の顔、妻の顔、友としての顔…どれも自分の顔であってそれらは同じ態度ではありえないのだから)、まさに大学時代に取り組んだ個人的な課題のようなものだった。

一般的なサラリーマン家庭の3人兄弟の1番上に生まれたけど、特段すごいことは何もなく、寧ろ問題児(トラブルメーカー)だったと思うw映画で例えると最初に死ぬまぬけな奴かな(笑)

小学校・中学校は子ども子どもしてたので高校あたりから特筆するとしたら、2年生の途中から渡米した高校生時代は、もう慣れてマヒしていたと思ってた心が行きしなの飛行機の中で所属していた部活動で同期・後輩からもらった手紙を読んだのをきっかけに泣けた。(彼女たちは飛行場まで見送りにまで来てくれたのだった)

アメリカでの高校生活は日本で楽しかった時間を反芻するように、寂しくてネットにどっぷり浸かった。リズムを日本に合わすと自然にこちらでの生活が成り立たなくなり、朝はとても眠く、アメリカの高校ではありえないような居眠り学生だった。それでも日本の誰かと繋がっていることが嬉しくてエアメールしたり、ネットで知り合った友人が落ち込んでいた際に国際電話してあげたり(親の電話代の負担に関しては考えたことなかったですw)誰かの支えになることが、寧ろ挫けそうな自分を支えていたのかと振り返り思う。

別に祖父母の家に残って日本で高校生活を継続する、という選択肢を親は与えてくれてたにも関わらずそれを蹴って一緒に渡米することを選んだのは自分なのにね。

(つづく)

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