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ありがちで特別な紫の夜を越えて出会えた奇跡と痛みがこの胸に溢れてる

3月25日、わたしの人生の半分以上を占めているスピッツのメジャーデビュー30周年記念日。大切なことはスピッツが教えてくれた、と綴っても過言ではないと思う。

優しい声と力強いサウンド。すっと、とても自然に耳に入ってきて全身を掛け巡る。体中が、スピッツになる。全ての細胞が、スピッツを求める。変拍子がこんなにも心地よいなんて本当に不思議。

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君と出会えた奇跡がこの胸に溢れてる

これは、「空も飛べるはず」の歌詞。スピッツといえば「空も飛べるはず」か「チェリー」を挙げるひとが多いんじゃないかな。(※スピッツファンは除く)

君と出会えた痛みがこの胸に溢れてる

これは、後に「空も飛べるはず」という曲になった「めざめ」という曲の歌詞。

"奇跡"だと思うとどの出会いも巡り合わせも愛おしく感じられるし、別れや離れることは"痛み"として刺さって残る。人間だけではなく、動物やモノに対しても当てはまる。noteの世界も、同じ。たくさんの記事で溢れているこの場所で巡り合える記事のひとつひとつの存在がものすごい奇跡だ。

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やさしいだけじゃない、棘や傷や涙を、「こころ」を歌い奏でるバンド、スピッツ。よく分らない歌詞も、何故か「分かる」。こういう風に受け取らなくてはいけないとか、こういう風に考えなくてはいけないというのがない。自由に、平等に、寄り添ってくれる。

そういう風に他人に接したい、と思わせてくれる。喜びも悲しみも痛みもすべて包み込んで、心に寄り添いたい。静かに、穏やかに。

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決して押し付けることなく奏でるところも、スピッツの魅力だ。そして、見返りを求めることをせずに、与えてくれる。「ギブアンドテイク」じゃない、何も奪わないし求めない。「ギブ(与える)」だけ。

つい見返りを求めてしまいがちだが、返してほしくて与えるのはなんだか寂しい気がする。「ギブ」の連鎖が、好きだ。誰かがくれたあたたかい気持ちを、誰かにまた渡したい。リレーのバトンのように繋いでいきたい。

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午前4時、「紫の夜を越えて」という新曲がYouTubeの公式チャンネルにアップロードされた。

「今」聴きたい、聴いてほしい曲。胸がいっぱいで、それ以上の言葉が思い浮かばない。もどかしい。叫び出したいほど抱え込んでしまった思いと、願いと決意が美しく詰まっている。

いつも寂しがり 時に消えたがり
いくつもの光の粒 僕らも小さなひとつずつ
なぐさめで崩れるほどのギリギリをくぐり抜けて
一緒にいて欲しいありがちで特別な夜

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傷は消せないが続いていくなら起きあがり
捨てた方がいいと言われたメモリーズ強く抱きしめて

涙が頬を伝った。「ありがちで特別な」涙。


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わたしたちは、何回も「紫の夜」を越えてきたんだ。越えることができたんだ。だからこうして今誰かと出会えた奇跡や痛みを噛みしめることができているのだろう。

これから何度「ありがちで特別な夜」を越えていくのだろうか。それはきっと、紫の夜がつづく限り、ずっとなのかもしれない。
だから、

"出会い"と"夜"を抱きしめて、生きていこう。





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