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棘にも毒にもなるけれど、

「言葉」って、むずかしい。傷付ける道具にも武器にも、なる。数え切れない程の傷になったし、わたし自身も無意識に誰かにつらい思いをさせてしまってきたと思う。悪気がないから許されるわけではなくて、かといって受け取る側が過度に被害妄想を抱いてしまうのも違う。だから、むずかしい。とてもむずかしい。
だからこそ、やさしくてあたたかい言葉をもらうととても嬉しくて心がぽかぽかするの。

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傍からだと「家族」に恵まれているように見えるのだとおもう。物理的には恵まれていた、恵まれているとおもう。だけど"繋がり"や"絆"という点ではどうだろう、と、はてなマークしか浮かばないん。
だから、わたしが「優しさ」と聞いてまず思い浮かぶのは血の繋がっていない他人だ。

素敵な友人たちが掛けてくれる言葉、道ですれ違うひとたちと交わす挨拶、店員さんたちのあたたかい対応、職場での挨拶や会話、連絡無精な恋人が送ってくれるLINE、SNSでの反応。
あたたかくて優しいたったひとことでその日が、変わる。

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"優しい言葉を遣うひと"で思い浮かぶ、3人。
・病気のカミングアウトをしても何も変わらず関わり続けてくれる大学時代の友人。SNS時代だけど今でも手紙のやりとり(…文通、と言って良いのかしら?)を、定期的に。
・SNSで繋がり始めてからもう10年以上が経つ、お姉さん的存在の女性。自分が苦しいときでもいつだってわたしのことを気に掛けてくれてしまうくらい。
・弱音を吐くのがたぶん苦手で、だけど周りのひとたちの弱音やつらさに対してとても敏感な女の子。しっかり者。お互い褒めあって自己肯定感を上げさせてくれるの。

…4人、にしようか。
"怒"の感情を何処かに投げ捨ててきたのではないかと思うくらいには穏やかな、恋人。でもどちらかといえば、優しさを感じるのは「言葉」よりも「オーラ」かな。

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もちろん他にもたくさんのやさしい言葉をもらってきた、もらっている。忘れてしまいたくない、大切な言宝物たち。そんなふうにしていただいているひとたちに対して、わたしも同じようにとまでは言えないけれども少しでも返せているかしら。そうだと、いいな。

だけど決して"返してほしい"から発しているわけではない。いつか気付いたり思い出したりしてくれたときに、他の誰かに回して、伝えてもらえたら良いなって。関わりがなくなってしまっても、いただいたやさしい言葉はずっと残っている。だからわたしも、「届いたらいいな」「回ったらいいな」と思いながら紡ぐ。

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ひとつでも多くの笑顔を、優しさを、届けることのできるひとになりたい。たくさんのやさしさにふれて、やさしくなかったわたしは、そう思うようになった。

ありがとう。




#やさしさにふれて

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