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【ガンはメッセンジャー 8】手術前の無駄な入院期間と地獄の”処置”

いよいよ入院。
最近は「早く退院させたがる」病院が多いと聞くが、私の通っている病院はその反対で、とにかく「長く入院させたがる」。
そして、よくわからない「規則」がいろいろとある。
この時も、4月4日(月)が手術だったから、私は前日の4月3日から入院だと思っていたら、「土日の入院は規則で認められないので、1日の金曜日からです」と言われてびっくりした。
手術前に、何もないのに3日間も入院するの?何するの?
もちろんそう聞いてみたが、「ゆっくり体を休めてください」とだけ言われた。

「規則」なので仕方がない。私はたまたま2年前に母の紹介で、手厚いがん保険に入っていたので、休養のつもりで個室を予約した。入院保険が1日2万円出るので、個室でも十分におつりがきた。

費用のことは問題なかった。仕事のこともだいたい片づけてきたので心配する必要はなかった。
「パソコンは持ち込み禁止」と言われていたので、この機会にゆっくり本を読もうと思った。西加奈子さんの『サラバ!』上下巻を持ち込んだことを覚えている。
また、友達に「3日間もめっちゃ暇やし、よかったら遊びに来て~」と言っていたら、5人くらい来てくれた。それで随分気がまぎれた。

それでも、手術前に3日間も病室にいると、情緒不安定に陥った。土日で人も少なく、私は手術前の元気な患者なので、看護師さんも誰もまったくかまってくれない。決まった時間に3食ごはんが運ばれてくるだけ。
3日間も病室でほったらかしにされていると、だんだん不安になってくるのがわかった。手術の細かな内容をまだ聞かされておらず、たまらなくなって看護師さんに泣いて訴えた。「ちゃんと説明がほしい」と。
すると、3日目の夕方、夫と母がいる時に執刀医に呼ばれ、ようやく手術の細かな説明を受けることができた。

今でもよく思い出すが、この時ほど夫のことを頼りになると思ったことはない。夫はまるでクライアントに向けての新たな企画のプレゼンテーションのように資料を作成してきており、医師の説明に対して「この場合はどうなるのか」「病理検査でこうだったらどうするのか」など、疑問を1つずつぶつけては消化していった。私がまったく考えていなかったようなことも質問していたし、医者が話す専門的なことも「ふんふん」と相槌を打っていたから、ある程度理解しているようだった。

日本人は医者に対して信頼が強いと思う。信頼という言葉が正しいのかわからないが、とにかく病気になったとたん、急に自分で考えることをやめて、何の疑問も持たずに、医者が言うとおりに手術をしたり薬を飲んだりする人が多いように思う。(特に高齢者)
だから、「これが標準治療ですよ」と言われると、何の疑問も持たずに「ああ、そうですか」と受け入れてしまう。
別に何もかもに反抗しろとは言わないが、私は「疑問」を持つことはとても大切だと思っている。だって、自分の体のことなんだから。この後の人生まで、医者は責任を持ってくれないのだから。
だけど、私たち一般人は病気の前では無力で、医療に頼るしかない。だったらせめてちゃんと自分が納得のいくまで説明を聞くことが大事だと思うのだ。

この日、私と母は、夫のおかげで100%納得して手術に挑む気持ちがかたまった。
余談になるが、この時からずっと夫はがんについて勉強を続けてくれている。あくまでも素人ができる範囲だが、ネット上にあがっている論文なども読み、私がまったく知らない新薬のことなどもいち早く情報を持っている。

ただ、辛かったのは手術前日だ。私は「センチネルリンパ節生検」を希望していたので、手術前日にその準備の処置があった。
センチネルリンパ節生検とは、最初に転移が生じると考えられるリンパ節だけを手術中に迅速病理診断し、そこに転移がない場合は、その他のリンパ節は摘出せずにおくという方法。これを希望していなければ、私は初期の1aという見立てにも関わらず、標準治療の名のもとに、骨盤リンパ節まですべて切除しなければならなかったのだ。
乳がんなどではすでに確立している方法だが、子宮体がんではまだ事例が少なく、私のようによほど希望しなければ病院側から提案してくれるものではなかった。

だから、私はこれをまさに“勝ち取った”かのような気持ちでいたが、手術前日、子宮鏡を用いて、子宮体がんの周囲にラジオアイソトープを局所注射すると聞き、一瞬後悔した。
局所注射……?
え?あそこに?
もう恐怖でしかない。でも、やると決めたのだから、後には引けなかった。

言われていた時間になると、病室に看護師さんが車いすで迎えに来た。「歩けます」と言おうとしてやめた。この間、採血の時も拒否したが、「規則なので」と無理やり乗せられたじゃないか。どうせ今回も同じこと。
私は抵抗するのをあきらめて、車いすに乗った。
検査室まで運ばれながら、看護師さんに聞いてみる。
「痛いんですかね?」
看護師さんは答えづらそうに言った。
「う~ん……人それぞれですけどね、ある程度は痛みはあると思いますよ」
そうか、やっぱり痛いのか。
もう戦場に向かうような気分だ。

検査室につき、「外で待ってますね」と看護師さんに見送られ、入室。
すぐに下着を脱ぐように指示され、検査台に横になる。
「はい、すぐ終わりますから、力を抜いてくださいね」
先生に言われて、力を抜いてみたが、その数秒後、自分でも出したことのないような声が出て、そのことにびっくりした。
「ぎゃーーーー!!」
見えていないし、何をされているのかもよくわからないから、不意打ちのように、今まで経験したことのない痛みが襲った。
そりゃそうだ。
膣に何か機具を入れられて、そこに局所注射をされているのだから。
脳がハレーションを起こしたようになり、本能で逃げようとしてしまう。
看護師さんに体を押さえられ「もう少しなので、我慢してくださいね」となだめられる。
何?まだ終わっていないのか?
不思議なもので、これほど痛いのに、私の中ではさっき出したとんでもない大声が恥ずかしいという気持ちの方が勝っていて、なぜか「すみません。声出したりして」と言ってしまう。
さっきは不意打ちだったが、今度は「来る!」とわかっているので、なんとか大声をあげるのだけは少し抑えられた。それでも強烈な、経験したことのない痛みで、どうしてもうめき声が出てしまう。
ああ、恥ずかしい。
なんで私はこんなあられもない姿を人に見せながら、こんな一番恥ずかしい局所に注射を打たれてのたうちまわっているんだろうかと思う。
そのことがどうしようもなく苦しくて涙が出た。

ようやくその地獄の”処置”が終わり、検査室を出ると、看護師さんが車いすを用意して待っていた。きっと声が聞こえていただろうなと思うと、恥ずかしくてたまらなかった。
黙って車いすに乗り、病人のようにうなだれて、病室まで運ばれた。

さあ、手術は明日だ。

※これは2016年4月の記録です。振り返って書いています。

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