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ライターのセカンドキャリア?職人でありたい自分。

薬の副作用で関節痛がひどくなってきた。
何かにつかまらないと立ったり歩いたりが難しい。
いつも朝起きた時が一番体調が悪く、髪を振り乱して這いずりながらうめいている私を見て、夫が「貞子かと思った」と言った。

倦怠感もひどく、歯茎もやられて口の中が血の味。口を大きく開けるのも痛い。
薬を続けるとまたヤバくなる気がしたので、この日はレンビマを休薬することに。
午前中は水素吸入をしながらゆっくり過ごした。それで随分ラクになった。休薬バンザイだ。

午後からは原稿を書かなければならなかった。
3月から休業したはずなのに、なんやかんやとやり残したことがあり、結局、本当の意味での休業はできていない。
先月もこんな状態だが、逆に収入もゼロにはならず、20万くらいあった。ありがたい。

でも本当にこれが最後。
昨日、食品メーカーのWEB記事を1本書いたが、このプロジェクトは終了。これは個人的な休業とは関係なく、メーカーがサイト自体をクローズすることになったので、自動的に私はお払い箱になったというわけだ。
7年もやってきた継続案件だったので、最後の1本を書き上げたときは感慨深かった。何かが終わるって、淋しいものだ。

午後に書いた原稿も2月に取材していたもの(掲載は7月号)で、いよいよストックはこれでなくなる。
提出したら、今度こそ本当に休業だ。
ホッとするような、不安なような、なんだか変な気持ち。
四半世紀以上、毎日何千字、時には何万字と書き続けてきたから。
しかし、まあ、組織に属したこともなく、何のコネもないし、案件も少ない関西なのに、フリーランスでよくここまでやってこられたものだとも思う。
それもこんな社会不適合者のくせに!!
結婚するまでは9年も一人暮らしをしていたし、文字通り「書くことで生活していた」。
「自分のペンで食べていく」という夢は叶ったし、幸せな人生だったと思う。

治療が順調で、寛解も現実的になってきた今日この頃、復帰後のことをよく考える。
この数年で、ライターを取り巻く環境は完全に変わってしまった。
紙からWEBへ媒体の中心は移り、それに伴い、WEBライターと呼ばれる人たちがどんどん増えている。
飽和状態で相場はガタ落ち。数をこなさなければ生活なんてできないほどに。

とはいえ、時代の流れというものには逆らえないから、それを憤ったところで仕方がない。
自分も「書きたい人間」だったから、今の若い人たちの中で、本気で「書くこと」を仕事にして生きていきたいと思っている人の気持ちもわかるし、応援したい気持ちもある。
でも、ライターという職業が
「誰でもできる仕事です」
「未経験の私でもなれました!」
「書くことなんて興味もないし、どちらかと言えば嫌いだった私がライターをやってます!」
みたいな記事を目にすると、自分が命を削って書いてきた仕事がバカにされているようで悔しい。

確かに、誰でもできる内容のライティング案件もあるのだろう。
だけど、自分がやってきたことは、決して誰にでもできることではなかった。その矜持はある。

この間、ある有名なライターさんのnoteを読んでいたら、「ライターになって、幸せにもなること」を実現しなければ、ライターになっても意味はない、みたいな内容が書かれていた。
私もそこには同意する。

せっかくライターになったけど、これが私のやりたかったこと?
やってても楽しくない。先が見えない。
もしかしたら向いていなかったのかも。

そんなふうに思うことがあれば、やめたほうがいいだろうなと思う。
書くこと自体は、仕事にしなくてもできるのだから。

それから、かのライターさんは、ライターとしてのセカンドキャリアのようなものも提示されていた。実際、ご自身はライター講座や大学で教えたり、ツアーガイドなどもなさっている。
私のまわりでも、結構年上のキャリアのある方は、ライター業に加えて大学で講師をやったり、編集に携わったりしている人もいる。

また、日本酒ライター関連でいうと、ライター業だけを専門にやっているのは私くらいで、あとの人たちは日本酒講座で教えたり、日本酒イベントの監修をしたり、特定の酒蔵で製造や販売のお手伝いをしたり、酒蔵のツアーガイドをしたりと、特に「書くこと」のみにこだわっていない。

ライターのスキルや経験をもとに、ライティング以外の仕事をしている人はたくさんいるのだ。
というか、40代、50代になれば、セカンドキャリアを積んでいくのが一般的なのかもしれない。
日本酒のように、専門分野があるなら、その中でライティング以外に広げていくのもいい。

客観的に考えると、そういう結論が出る。
だけど、実際に自分に置き換えてみると、セカンドキャリアにも、日本酒の専門家になることにも、何の魅力も感じていないことに気づく。

たとえば、ライティングを教える、添削する仕事。
私は決して教えることは嫌いではないし、むしろ好きなくらいだ。学生の頃から10年くらい、15〜20人くらいの中学生を相手に教壇に立って、数学と国語を教えていた経験もある。楽しくて仕方なかった。
でも、ライティングを教える人になりたいとは思わない。そもそも自分は誰にもライティングや取材の仕方を教わったことがないし、文章上達関連の本も読まないので、「ライタースクールって何を教えているのかな」と不思議になる。
(自分が生徒として受講してみたい)

日本酒業界にどっぷり入ることもやめた。
一時期は他の日本酒ライターさんが羨ましくて、日本酒講座とかイベント監修とかやってみたいなぁと思うこともあった。
業界で人脈を広げたいと、必死に名刺を配ったこともあった。
酒蔵で酒造りのお手伝いをしたこともあったし、日本酒バーで働いたこともあった。

でも、やればやるほど、そんなことがやりたかったのではないと気付かされた。
悩みすぎて逃げたくなって、逃げられないからガンが再発した(と思っている)

結局、私がやりたいことは、「書くこと」だけなのだ。もうそれは悲しいほどに。
人に教える時間があれば、取材にいきたい。人に酒を注いでいる時間があれば、書きたい。

「ライターの仕事をやってて、楽しくないと思う案件もありますよ」と言うベテランライターさんもいるが、不思議なことに、私は少なくとも「書いている間」は、ずっと楽しい。楽しくないと思いながら書いたことがない。
安くて地味で、こんなことを私がやらんとあかんのか?という内容のものでも、その前後で文句を言うことがあっても、書いている時だけはニヤニヤしている。
もちろん「苦しんで書く」ものはあるが、それは産みの苦しみであって、別の面から捉えれば、やはり楽しさにつながる。

「かおりは、ほんまに職人なんやな」
と夫が言う。融通の利かない、頑固なライティングバカを見て、半分あきれたように、半分羨ましそうに言う。
そう、職人なのだ。
これまでも、今も、この先もずっと、私は「書く」職人でありたい。それ以外の仕事はできる限りやりたくない。

そんなワガママを無理やり通してこれまではなんとかやってきたけれど(本当に無理やり!)、これから先は通るのだろうか。
取材して書く。
それしかできない、やりたくない人間を使ってくれるところがどれくらいあるのか。

しかし、なぜか休業した3月から、自分の公式サイトや過去の取引先から依頼が立て続けに来た。
それも、そのうち3件は絶対引き受けただろうと思えるもの。休業中だと断ったが、やりたかった。
タイミング悪いー!と地団駄踏んでいる私を見て、夫は
「今これだけ来るってことは、復帰してからも来るってことやで」
と前向きになだめてくれた。

そうなのかな。
確かに「復帰したらまた連絡ください」と言われているクライアントは何社かあるし、新しい案件もまた来るかもしれない?

復帰後も、私はまだ書く職人でいられるだろうか。
自分の稼ぎだけで生活できる個人事業主でいられるだろうか。

もっと器用で、もっといろんな才能があって、自分に自信もあって、野心もあって、何かしらセカンドキャリアを積めればよかったのだけど。

でも、私の幸せは、そこにはないから。

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