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「書く人」は楽しさ3倍、めっちゃお得なんやで

このnoteを始めて約3年半。
その前にも私は2012年からブログを書いていた。このnoteよりもっと気楽で、日記に近いもの。読者のことなどほとんど考えず、書きたいものを書くブログ。
見知らぬ人に読まれるのは構わないが、知人にはできれば本当に身近な友達だけに読んでもらいたかった。
だから、検索で引っかかることがないように、自分の素性はもちろん、記事の中で固有名詞を使うこともできるだけ避けてきた。

人の悪口などは書いていない。
でも、自分の弱さはさらけ出してきた。
それを仕事関係者などに読まれるのは絶対に嫌だった。
それくらいものすごく個人的な内容を気楽に書き綴ってきた。

少し前、このnoteのある記事にコメントをもらった。
会ったこともないその人は「ブログからずっと読んでいました」と書いてくれていた。ブログでnoteに移行することをお知らせしていたので、追いかけてきてくれたらしい。
その人の他にも、同じことをカミングアウトしてくれた人が2人いる。よって、リアルで会う友達以外に、少なくとも3人は、私の書くものを追いかけてきてくれたことになる。
書き手として、これほど嬉しくありがたいことがあるだろうか。(いや、ない!)

そんなことがあり、今朝ふと「あのブログはどうなったんだろう」と調べてみた。
「あのブログ」とは、先に書いた2012年からのものではない。それは最近まで書いていたので現存しているのはわかっている。その前に、2007年からやっていたブログがあったのだが、確か母親に見られたことをきっかけに、新しいブログに移行したのだ。

検索してみたら、あった。
ネット上にちゃんと残っている。削除したわけではなかったのだなと、ホッとしている自分に気づいた。
実はさらにもう1つ前にもブログをやっていた。それは2006年末までやっていたが、仕事関係者に読まれていろいろ揉めたので(悪口などではないが、私が自分の気持ちを赤裸々に書きすぎていた。これは今でも反省している)、完全にネット上から削除して、2007年から別のブログに移行したのだった。
もしかしたら、記事の内容をどこかにバックアップしているかもしれないが、今のところよくわからない。あれはたぶん2000年くらいからやっていたのではないだろうか。

そして、これは完全に消去されているが、1996年くらいから、自分のホームページを作っていて、そこにレンタル(有料)の日記帳を置いて、毎日書いていた。まだブログというものがなかった時代のこと。ブログができて、そのほうがお金もかからず操作も簡単ということから移行した。

こうやって振り返ってみると、私は1996年から27年間、ネット上に自分の日記のようなものを書いて公開してきたことになる。ライター人生とほぼ同じ期間だ。
仕事で書いて、プライベートで書いて、どんだけ書くのが好きやねん、とあきれる。

先にも書いたが、今でも見られるのは2007年からのブログと2012年からのブログだから、noteも合わせて17年分の「自分の過去」を読むことができる。
2006年の揉め事以来、赤裸々に何でも書くということもやめたし、noteになってからは誰に読まれてもいいように、むしろライターとしての自分のアピールになるように、なるべく「作品」を意識して書くようにしている。

昔の自分の書いたものを読むのは気恥ずかしいかなと思ったが、さっき、2007年からのブログを少し読んでみたら、面白くもあり、懐かしくもあり、残っていてよかった!と心から思えた。
ちょうど夫と結婚した年だから、夫と歩んできた人生を振り返ることもできる。

仕事の文章でもそうなのだが、私は過去の自分の文章が好きだ。
たまにプロのライターの人で「駆け出しの頃の文章なんて恥ずかしくて読めない」「未熟だったとわかる」という人がいるが、私はずっとその逆なのだ。
若い時の自分の文章は、とてもキラキラしているように思える。生命力がある。魂がある。自分で書いたものなのに「これ、ほんまに私が書いたんかなぁ。めっちゃいいやん!」と思うこともある。笑
果たして今の自分にこんなものが書けるのかと不安になるほどに。
が、また年月が経って読み返すと、不安になっていた時期の文章も「めっちゃいいやん!」となる。
なんや、この自画自賛。
と、あきれた人も多いだろう。

いや、でも、そうじゃないとあかんよね。
自分で認められない文章を世の中に出してお金をもらっちゃいけない。
自分が感動できない文章で、一体誰が感動してくれるというのか。
「いい!いい!最高!」と、私はいつも書き上げたものを自画自賛しながら提出する。逆に「これどうだろう?大丈夫かなぁ」なんて思う段階で納品するなんて、プロの仕事じゃない。
もちろん、私がいいと思っていても周りからは評価されないこともある。それは私の力不足。でも、その時の自分の100%を出し切っている自信はあるから、私だけは「最高!」と思って提出する。

話が逸れたが、仕事の文章だけでなく、昔のブログもキラキラしていた。内容も今みたいに病気の話ばかりじゃないし、ユーモアもあって、読んでいて楽しい。
いろんなことを思い出したし、noteに改めて書きたいこと(ネタ)もいっぱいあった。
(これから昔のブログから引っ張ってきたネタでも書いていこうと思う)

夫とよく話すことがある。
私たちは書く人でよかったね、と。(夫も昔は作家を目指していたし、コピーライターだった。私は夫に会うより先に、夫の文章に惚れ込んだ)

旅行の日記を例にするとわかりやすいが、
①実際に旅をする楽しさ
②思い出して書く時の楽しさ
③書いたものを後で読み返す楽しさ
と、3回も旅行気分を楽しめるのだ。なんなら、それを一緒に読んで語り合う「共有する楽しさ」までついてくる。

人は、忘れる生き物だ。
忘れてしまう記憶なら、所詮その程度のこと、という考え方もあると思う。
だけど、記憶を文章で残しておけるなら、それはそれですごくお得な気がするのだ。
noteを書いている人たちなら、共感してくれる人も多いと思う。
旅のこと、美味しかった料理、楽しかった友との語らいのとき、子どもの成長、仕事での楽しさや悩み。
ふと見上げた空の美しさや、季節の変わり目を感じる風、移ろう花々の色、人とのちょっとした触れ合いなど、そんな日々のなんでもないことまで、書いておける。
書く時間は楽しく、いつか読み返せば、文章から「あの瞬間」がよみがえる。もう一度、自分の中に。
それを誰かと共有もできる。半永久的に。
また、一生懸命頑張っていた自分の姿に励まされ、助けられることもある。

これって、とても素敵なことだ。
それを知っているから、私は書き続けてきたのだと思うし、これからも書いていくのだと思う。

「書く」って、いいよね。
「書く人」でよかったよね。
今日もnoteを書いている人たちみんなに言いたい。
私たちって、楽しさ3倍で、めっちゃお得なんやで。

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