手放して、本来の自分を取り戻す。
仕事を減らす、ということを本気で始めた。
8月は12年以上お付き合いのあった取引先2社と業務委託契約を解約。これでレギュラーで残ったのは日本酒業界誌とメーカー数社のWEBサイトだけ。あとは単発で依頼が来た時に内容を見て受けるかどうか判断することにした。
正直、これだけで十分生活できるのだ。
家計は折半だが、家のローンも昨年完済したし、他に借金もない。子供もいないし、夫は会社員でそこそこ稼いでいるから、自分以外に養う人もいない。それに、この年齢になると欲しいものもあまりない。
今は仕事やお金より、「本来の自分自身」を取り戻す「時間」を欲している。
ただ、外注とはいえ、長年お世話になってきた会社の営業さんたちとお別れすることは淋しかった。数人いる営業さんの中で2人が電話をくれた。私もその2人には個人的に連絡をしようと思っていたから、やはり信頼関係というか、気持ちというのは双方あってのものなのだと実感した。
その内の一人はあとでメールも送ってくださった。とてもうれしい内容だった。
「インタビュー内容がとても難しそうな内容だったとしても、細かく噛み砕いていただき、とても分かりやすい文章でした」
「プライベートなお話もよくさせていただき、ことあるごとに笑顔で聞いてくださるので、ついつい話してしまい、いつの間にか安心して1~10までべらべら話してしまいましたね」
「思い返すと優しいKaoriさんに、心を救われる場面が多く、それだけKaoriさんには、ライターとして、人として救われていたことに、今更ながら気づきました……」
ああ、そんなふうに思ってくださっていたのかと、何度もメールの文字を目で追いながら、しみじみと噛みしめた。
こんなふうに送り出してもらえると、自分がやってきたことは間違っていなかったのだと思える。誰かの役に立ってきたのだと自信をもてる。
もう一緒にお仕事ができなくなるのは淋しいが、私にしては珍しく、もう前を向いていた。「変化」や「別れ」が苦手で、同じ場所や人に執着することの多かった人生だが、最近は「手放す」ことを覚えた。
執着をなくすと、不思議と新しい出会いがやって来る。人生とはそういうものなのだと思う。
最近では単発で「チーズとワイン」のコピーを書く仕事をしたし、まだ見積もり段階だが、新たに日本酒関連の仕事も舞い込んで来た。自分が本当にやりたいこと、専門性の高い分野のことが増えてきているように思う。
こうして「本来の自分自身を取り戻す時間」ができたら何をするのか。
自分が楽しいと思うこと、わくわくすることが何なのかを考えてみると、それは子供の頃から好きだった手芸やお菓子作りだった。
編み物、こぎん刺し、刺繍。久しぶりに始めてみたい。またいちごのタルトやシュークリームを焼きたい。
本来の私は引っ込み思案で、自分だけの世界にこもり、自分の内へ内へと入っていくことが好きだった。もちろん、全国どこでも飛び回り、初対面の人にも根ほり葉ほり聞いてしまう取材の仕事が好きだというのも嘘ではない。人が好きだし、人の生き様を垣間見られ、それを文章にできる取材ライターの仕事は私の生きがいだった。それはこれからもずっと。
ただ、もうそれだけではダメなのだと思う。
この間、親友とそんな話をしていた時、彼女に口酸っぱく言われた。
「だからって、100か0か、じゃないねんで。あんたはすぐそうなるやろ?中間もあっていいねん」
うん、うん、とうなずく私。
全部いきなり辞める必要などない。極端に「100」or「0」を選ぶんじゃない。バランスをとっていけばいいのだ。そして、自分の心をわくわくさせるものを選ぶ、ということを間違えなければいいのだ。
ちゃんとそう心得て決断した。
もちろん取材に行けば楽しいし、嫌々やっているわけではなかったが、心の底からわくわくしていたかといえば、それは違った。
「断ったら申し訳ない」とか「私を必要としてくれてるんだから頑張らないと!」と思う気持ちのほうが強くなっていたのだ。
そうやって「誰かのため」に動いている気になっていても、結局それは「自信のない自分を肯定するため」でしかなかったし、必要とされていると確認することでなんとか自分を保っているだけだったと思う。
そんなことに気づき、気づいただけでなく実際に行動に移してみたら、思いがけなくスッキリしていた。
怖いのは、飛ぶ直前だけなんだと思う。
飛んでしまえば、青い大きな空が広がっている。
本気で変わろうと思えば、自由に翼を広げてどこへでも飛んで行けるんだと知った。
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