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時代と共に意味は変化しても、ライターとして「言葉の居場所」を大事にしたい。

言葉の意味というのは、時代と共に変わっていくものだという。それは自然なことだし、本来の意味だけにしがみつくつもりはない。私自身、昔とは意味が変わったことを知らずに使っている言葉もたくさんあると思う。
ただ、「間違い」なのか「変わった」のかわからないと、読む時、使う時に、モヤモヤしてしまう。

最近気になる言葉は「紐解く」だ。
先日、テレビをつけたら画面の右上に「歴史から紐解く!」と出ていて、「なんか気持ち悪い!」と思った。違和感を覚えた。

「ひもとく」「紐解く」または「繙く」と書き、本来は「書物を読む」という意味だ。
それが、この「解」という漢字が持つ意味のためか、古い書物を読む時に多く使われてきたからか、いつからか「歴史を紐解く」など「調べて解明する」の意味で使われているのをよく目にするようになった。「謎解き」などの流行も関係があるかもしれない。(あくまでも個人的な推察にすぎないが)

それでも、「歴史を紐解く」という使い方に対しては、歴史書などの書物を開いて読んでいる場面を想像すれば、納得することができた。
それが先日の「歴史から紐解く」を見てしまい、これは書物などは関係なく、もう完全に「紐解く」=「謎を解く」の意味で使われているんだなぁと思った。この意味で使っても間違いではないということだ。

その他、「○○さんのことを紐解いていきます!」という使い方も見たことがある。これは「歴史の謎を解き明かす」という意味をもっと拡大して、「分析して明らかにしていきます」のような意味で使っているようだ。ここまでくると、まだ受け入れられず、ちょっとなぁ……と思う。

同じように、意味の変遷を見てきたと思う言葉に「敷居が高い」がある。これもテレビでアナウンサーが高級料理店の紹介で「私たちには敷居が高いお店ですが」のように使うようになったのを見て、今の時代はこれでOKなんだ、意味は変わってしまったのだと受け入れた。(しかし、まだ仕事の文章では使う気になれない)

最初にも書いたが、言葉の意味が変わっていくのは仕方のないことだと思うので、「間違っている」と批判したいわけではない。
たとえば、「全然行けるよ」など、「全然~する」と肯定文につなぐのも、最初は気持ち悪かったが、今では全然大丈夫だし(笑)。
「ヤバイ」を「おいしい」「素敵」など、肯定表現として使うのも、もう慣れて、今では自然に「これ、やばー!」と出てしまう。
ただ、やはり言葉を使うことを生業としている者としては、本来の言葉の意味をできるだけ大切にしたいという気持ちが強い。

「絶対音感」を持つ人がいるように、世の中には「絶対語感」とでもいうべきものを持っている人がいると思う。
私の友達にも何人かいる。ライターではないけれど、美しい文章を書く。
そういう人は、「言葉の居場所」を知っているのだと思う。
言葉の本来の意味をよく知っているから、何かを文章で表現する時に、ぴったりと合う言葉を持ってくる。私はそういう文章に出会えると嬉しくなる。読んでいて、「言葉が喜んでいる」と思えるからだ。

生まれつきの感性もあるかもしれないが、良い文章に触れて、言葉の意味を大切にして書いていくことで、「絶対語感」は育っていくように思う。
だから、私はたくさん本を読み、たくさん文章を書く。言葉の意味はできる限り調べて、正しい意味を知るようにする。
言葉に救われ、言葉と共に生きてきたのだから、言葉を雑に扱いたくはない。
それがプロの物書きとして、言葉を扱う者として、言葉に対する礼儀のような気がするのだ。


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