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小〜高校を振り返って友情の違いに気づいた。

走馬灯を疑似体験したかのような1ヶ月間だった。

約4週間にわたる小学校での教育実習が終わった。
それも私が当時通っていた母校での実習だった。

私が教わった先生はすでにいなかったが、以前と変わらない風景や体育倉庫の匂いに懐かしさを覚えた。
実習生とはいえ、この場所に先生として再び訪れることができて、本当に嬉しかった。

そんな実習も終わり1週間が経過した頃、久しぶりに中学で仲の良かった友人Aから飲みに誘われた。

Aと会うのは高校3年生以来4年ぶりであった。
私からしたら(あぁ~4年ぶりかぁ)としか思っていなかったけど、久しぶりに私に会うAは最初緊張していたらしい。

私はその日初めてAと地元飲みを体験した。
終電を気にせずに飲める地元飲みの良さを知った。

お酒が入り気持ちの良くなったAは、当時の中学の友人の何人かを呼び、追加で3人(B~D)が集まった。

彼らはいずれも中学のときに毎日のように登下校していたメンバーである。
Bも高校3年生のときに一度あった以来4年ぶりであるが、CとDに関しては中学卒業以来7年ぶりというから驚きだ。

A~Dらは中学を卒業してからもしばしば会っていたらしい。
そこに今回久しぶりに私が入った形になる。
友人等からは、「スマブラでソラが参戦したときみたいに嬉しい」と言われて少し嬉しかった。

その次の日、高校の友達と母校の文化祭に行った。

高校に足を運んだのは、卒業以来4年ぶり。
顔を見たことのある先生を再び見かけたり、高校の同級生の弟に会ったり、同級生も何人か見たりした。

軽音を見て、茶道部を見て、写真部を見て、謎解きをして、自作映画を見た。
自分が高校生だったときとはまったく違う回り方をして楽しむことができた。


私は高校の友情が1番合うと思っていた。
偏差値が近い人達が集まっているから話が合う、と思っていたのだ。

しかし中学の友人等と久しぶりに会って、その考えが少しだけ変わった。

高校は偏差値が近い人が集まっているから話が合うのは確かだが、だからといって1番の友情ではない。

中学の友情は、偏差値が違う中で成り立った関係だからこそ、空気が合うのだ。

家が近いから、義務だから、同じ年齢だからという理由だけで集められ、社会を作らされる公立中学生。
頭の良さも経済力もキャラクターも本当に幅広い人達が集まる。

その中で毎日一緒に登下校する仲間がいた。
特に仲の良かったAとは、小学校も違うし、中学で同じクラスに一度もなったことがなく、部活すら被っていないのだ。

そんな共通点がまったくない人と仲良くなることができた。袖振り合うも多生の縁だが、十人十色すぎる中学校で、空気感が合っていたからこの人たちとずっといたのだろうと思った。

それぞれ趣味も違えば進路の方向性も違う。なのにとても居心地が良かった。久しぶりに会ったのに、まるで昨日も会っていたかのように自然と話すことができる空気を中学の友人等は持っていた。

以下に、校種と友情の関係をまとめる。

・中学の友情は、十人十色な人が集まる中学校で仲良くなった人だから、他の校種の友情よりも空気が合う。人の方を向いて話すことができる。一人ひとりの人生の道が高校に比べて多様だから話が尽きない。

・高校の友情は、近い偏差値帯の人が集まるから、学力的にも治安的にも話が通じることが多い。何人かに進路の相談とかすると安定してそれなりの答えが返ってくる。

・大学の友情は、同じ道を志している人たちだから就職や研究に関しての話は合う。意外と高校の偏差値幅が広いので、中学までとはいかないが多様な人がいる。合う合わないは大きい。

どれが1番とかそういう話ではなくて、こういう違いがあるかもなぁっていう話でした。

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