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コミュ障でも一生のパートナーができるまで③

幼稚園の頃から拗らせていた私は、望むモノゴトにことごとく拒否されていた。
欲しいものを与えられる事は殆ど無く、贅沢にも既に生きる事そのものに疑問を持っていた。
その頃の大いなる救いといえば、食べる事に困るような経済状況では無かった事で、暇と食糧さえ見つければ食べ続けていた。
好きな味はもちろん、嫌いなものでも口に何かを頬張っている瞬間だけは、心が満たされるからだ。
その頃の愛読書は「わかったさんシリーズ」で、このシリーズは図書館で全巻よんだ…はずである。
この名作達はファンタジー要素を含んだレシピ本で、食いしん坊にはたまらない書籍である。
私は特に好きなホットケーキの話を読んでは、最後に書いてあるレシピで勝手にスイーツを作り、そして怒られていた。
怒られるのは当然である、実はこっそりやけどをしたりしていたが、火事を起こしたりしていなくて本当に良かった。

そうして、モグモグモグしている内に小学校へいく年になるその頃には、立派な子豚が完成していた。
私の幼少期の写真は殆ど無いのだが、たまに姉と写る私は、まるまると太っていた。
一重瞼の丸々した顔が嫌いだった。
姉はくりっと大きい二重の目に、細くてスタイルが良く、新品の服を着てアイドルの様な笑顔で写っていて、見るたびに惨めな気持ちになる。
なので写真に関しては、あまり撮られてなくて良かったと逆に感謝している。

人は見た目が9割と聞くが、子供の頃はもっと高いのではないかと思う。
美しいものに惹かれるのは人の性、何をもって美しいとするかはその人次第だけれど、欲望のまま肥えた肉体は大多数に美しくないと判断された。
近所の子供達や、美しさにこだわる祖母や母からは目に入れたら痛いとでもいうように、事あるごとに無視された。
幼稚園の年少さんと呼ばれていた頃、周りに人がいる温かさを知ってしまった。
その後の孤独は、身を焼かれる様な苦しさだった。
それも、自業自得と認めなければならないのが辛いところだ。

こうして、ますます孤独に突き進んでいた私だが、小学生になった頃、初めて女の子の友達ができた。
リサと名乗ったその子は、とても可愛らしくも強い子で、あの頃の私のヒーローだった。

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