生きる意味を考える時点で、生きる意味も死ぬ意味もなさそう

生きている意味ってなんだろう。

人間も例外なく、本来生き物というのは自分の子孫を残すためにプログラムが設計されている。その肉体のプログラムに基づくと子孫を残すことがこの世に存在する価値となる。

それでは納得がいかないから私たちは悩むんだ。

私たちは人間は個体数が非常に多く、絶滅の危機に晒されてはいない。
したがって人類にとって子孫を残すということの重要性が低いことが悩みの種ではなかろうか。

生きる意味を考えはじめた時点で人類は繁栄という理想を実現してしまったのだ。

価値や意味というものは、理想があるから生まれる。目標が満たされた人類に、価値のある個体などいなくなる。だから人類にとって誰も、生きる意味なんてないし、生きる価値もないし、死ぬ価値もないし、死ぬ意味もない。そうして人類としての理想がないままこの世に生まれた人間は、個体の人生における理想、生きる意味を探し始めた。

全体としての理想が叶えられている社会での、個人としての理想はなんだろう。「自分の存在を脅かされない」この1点に尽きるのではないか。

人類としての目標を失った私たちひとりひとりに価値や義務なんてものはなく、生まれてきた個人として「存在できること」そして他人の「存在を脅かさないこと」が生きる意味のない世界で全うできる唯一のことであるのかもしれない 。

種としての目標を達成してしまった集合体の中から生まれる理想や義務は、
どれも緊急性のないものだろう。

現在の人類は何に対して人の価値や意味をつけるのか。
まやかしの世界に、乾杯!

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