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弱くても、されどワン・ツー~第四話~亀裂

弱くても、されどワン・ツー~第四話~亀裂


いつもは家に来ても声を発さない、大人しい大河。しかし今日は「うーぅ」「あー!!」という音の様な、大きな声を発している。
雅人も大河の落ち着かない様子に、

雅人「今日は髪切るの、やめとくか?」
と聞いてくれたのに。
和生人「いや、前髪だけだし。すぐ切っちゃうよ」
大河の気持ちを確認する事なく、自分ファーストでさっさと準備を進めていく。
本当に、俺の悪い癖だ。大河の気持ちを無視して。周りをちゃんと見れていなかった。自分のやりたい気持ちばかりを優先して。
後で思えばいくらでもヒントは転がっていたのに……。

そして事件は起きた。カット中、余りにも頭をフラフラ動かし、奇声をあげ続ける大河に「ちょっと、危ないからじっとしてろってば!」と、和生人は力づくで頭を固定した。

その瞬間だった。大河は驚くほどの大きい声で泣き出し、小さな手で和生人の顔を力いっぱい叩きはじめた。それは小さな爆弾だった。
思いもしない行動に動揺し、自分の顔を守ろうとして手元が狂い、和生人は鋏で自分の頬を切った。

その間トイレに行っていた雅人は突然の出来事に「おいおい、一体どうした!?」と、慌てふためき泣き叫ぶ大河を抱っこして、この日は帰っていった。

その日、大河が俺の目を見る事は一度もなかった。

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二人が帰った後、和生人は自分のした事を、最低だと思った。

まだ手に小さな頭蓋骨の感触が残っている。弱い者に対して力づくで、言うことをきかせようとした自分。一番……やってはいけない事だったのに。

大河の失望は、どれ程のものだっただろうか。泣き叫ぶ顔が目の前に過ぎる。小さな心を、一方的に俺は土足で踏み荒らし、沢山傷付けていたんだ。

心を無視される事がどれ程苦しく、悲しいか。自分が一番知っていたはずなのに。

和生人は吐き気がし、自分の馬鹿さを猛烈に呪った。それこそ仕事を辞めた時は全然後悔もしていなければ、自責の念や反省といった感情などは一切、湧いてこなかったというのに。
(俺を無視する外野が悪いんだ、って思わないと。惨めで即死だったから)

あの日から、俺は一㎜も成長していない。
あの無邪気な笑顔をもう二度と見れないのかと思うと、
大河にもう二度と触れる事はできないのかもしれないと思うと、
急に怖くなった。その悲しみは両親を失った時の悲しみと同じ色をしていた。どんなに会いたくても、もう二度と会えない‘’何にも代えがたい存在‘’

両親は和生人が壁にぶつかると明るく励まし、どんな時も側で手を差し伸べ、一番の味方でいてくれた。
大丈夫!和生人なら必ず出来るわ。貴方は強い子だもの」
それは魔法の言葉だった。母の信じる気持ちが和生人を強くした。
それは前へ進む力を何度も与え、自信と希望を与えてくれた。
挫折や絶望から救ってくれた、何よりも大切な存在だったのに。
「母さんも父さんも、もう、何処にもいない」

両親をいきなり失い、どうしていいか分からず目の前が真っ暗になった。両親が消えた世界を信じたくなかった。
ようやく癒え始めた傷から再び血がジクジクと流れはじめる。今度は大河を……失うのか。無邪気な笑顔や、和生人の後をついてくる姿が涙でぼやける。

「どうして自分はこうなんだろう」
「やっぱり俺は髪を切る資格がない人間なんだ」
「自分のせいで、大切なものばかり失っていく」

……だめだ、もうなんか全部、疲れたな。

仕事を辞めて、希望を失った時、
せっかく兄貴が大河と出会わせてくれたのに。

自分のせいでまた壊してしまった。大切な人との繋がり。
鏡を見る度に、突きつけられる頬についた消えない傷跡。

和生人は決めた。

「俺はもう、誰の髪も切らない」

こうしてまた、和生人は冷たい部屋に引き籠る様になった。

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その後度々、兄夫婦は心配して実家を訪ねてきてくれた。しかしそこに大河の気配はなく、和生人も部屋から出ることはなかった。

兄貴は何度も「俺が目を離したせいで、すまない」と扉の前で謝り、沙月さんは「また大河を抱っこしてやってね」といつものやさしい声を残してくれた。

しかし、和生人は自分の犯した罪を許せずにいた。兄貴は全然関係ない、あれは全て自分のせいだ。

部屋に引き籠る様になって、二ヶ月半が過ぎようとしていた。家から出かけないため足の筋力はすっかり落ち、食欲もなくやせ細り、外見はガリガリで老人の様になっていた。
日光を浴びない生活&運動不足から夜も一向に眠れなくなっていた。神経だけが鋭敏に生きている。布団に体を静かに横たえ、ただ呼吸をするだけの虚しい存在。

「このまま溶けて消えれたらいいのに……」

和生人はひたすら自分の死を願った。
排泄の為にトイレへ起き上がる、
ただそれだけの日々。非生産者。
俺は社会不適合者で害児だから。生きてちゃダメで。店で散々言われた大嫌いな差別の言葉たちが眼前に横たわる。

髪もボサボサに伸び、髭も剃らずそのまま。
風呂に入る気力なんて微塵も残ってなかった。
最近体が寒いんだ。ずっと……寒いんだ。

涙が虚しく頬を伝う。「父さん、母さん……会いたいよ」

生きるのに疲れ、呼吸を今すぐ投げ出したかった。
(もう疲れた……全部終わりにしたい)

その時ぼんやり目にはいったカッターに、瞬時に全神経と視線が奪われた。
部屋の中でカッターの存在が大きく増し、和生人を甘く誘惑する。
(あれで楽に……なれるのかな)
時計の音が冷淡に時を刻む音がする。

心臓の音で時計の音が聞こえなくなった瞬間、和生人は
そっとカッターナイフに手を伸ばした。

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そこへ玄関の鍵が「ガチャン」
と、開く音がした。

#創作大賞2023 #お仕事小説部門

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