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高校3年

幼稚園時代に加配的な先生が付いたり療育を受けていた幼稚園児が、月日が流れて高校3年生になっていました。 とりあえず普通学級に在籍はしていますが、決してそれは発達障害で無くなった訳ではなく、普通を装っていただけでもあります。


3年に進級し、主として私立文系大学の受験を想定したコースを選択しました。 もっとも大学受験をする生徒の方が少数派で、大学進学以外の進路だが『数学の授業が全くない』と言う一番軽いコースだから選択している人が多数のようでした。   


この頃になると、いよいよ狭い空間に人が密集する集団生活の場には自分は合わないと自覚できるようになりました。 あと1年我慢すれば解放されると言う一心で学校に通っていたと思います。  社会性を養う場としての学校機能は最後まで活用しませんでした。(する気もなかった)


高3になると、単科講座や講習会、模擬試験などで札幌市内の予備校まで行く機会が増えました。 札幌までしばしば行く事ができるというのは良いモチベーションアップになったと思います。  一応受験生になった訳ですが、東京の大学に進学を希望しているとは言え、かなりの学力不足は明白でした。 何とか現役で入る為に東京の私立大学の2部(夜間部)も受験するか、1浪覚悟で昼間の学部を受けるかの2択となり、後者で行く事になりました。 


ちなみに学部選択ですが、あれこれと選り好みできるような偏差値では全くなかったので、間口が広い経済・経営・商学部志望で行く事になりました。 この辺の話題は結構書ける事はあるのですが、深入りすると長くなり過ぎるので自叙伝?の概論を書き終えた後に余力があれば各論として別個に記事化するかもしれません。


そして2月。  大学受験の為に単身上京し、ビジネスホテルに宿泊しながら受験するも全滅となり浪人する事になりました。  結果は駄目でしたが、この時の受験上京はその後の人生を考える上で良い経験になったと思います。


1997年(平成9年)3月1日……高校の卒業式を迎えました。  学校生活そのものには大した感慨はありませんでしたが、『これでようやく集団生活から解放されて自由になれる』と言うASD的立場からの解放感は相当なものでした。 そして、それ以上に『何とかストレートで全日制高校の卒業証書を入手できた=高卒の学歴を手に入れた』と言う達成感はものすごいものでした。  うやむやにされたまま成長してきたとは言え、小学校に入学する際に養護学校への就学の打診もあった身です。  決してそれは当たり前の事ではありませんでした。  学校生活を振り返ると、自分は本当に普通学級で良かったのだろうかと思える箇所も少なくはありません。    もし来年も受験失敗で大学に行けなかったとしても、最低限『全日制高校卒業』と履歴書に記載できると言うのは非常に大きな事でした。   卒業式のあった夜、自室で『ようやく戦いが終わった……』的な感慨に深夜まで浸っていた記憶があります。


発達障害当事者の就学問題に関しては、色々と書く事もできそうな立場だとは思うので、機会あれば後日別個に記事化するかもしれません。

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