まさかの遊び道具!

 夜6時過ぎから泥のように眠りふと目覚めると午前五時を回っていた。
 布団からむくっと起き上がると、機械的にテレビをつけ、ご飯を食べ、持ち帰った入院バッグの中身をかたずけ前日放棄した家事に取り掛かる。
 一通りの作業が終わると夫から電話が入った。
「おはよう」
という夫のけだるそうな第一声で前日ほとんど眠れなかったことが容易に想像できた。
 何度となく見回りに来てくれる看護師さんの音や何度も起きては泣き散らすひなちゃんの声、私もそうであったように夫もひたすらぼんやりと一晩過ごしたようだ。
 この日は夫と13時に入院の交代をすることになっていた。
 (病院に行く前にスーパーによってひなちゃんが食べそうなラムネと、私の次の日の食事を何か調達して…。)
とくるくる頭の中で考えながら駅までの道を歩いていると、前から自転車を漕ぎながら、大きな声で話をする二人組のおばちゃんが近づいてきていることに気づいた。
 その二人が私のそばを通り過ぎるタイミングで
「なあ、がんもっておいしいよなあ。」
「せやな。水菜もおいしいよな。」
等という何やらそれぞれが思うおいしい食材の話が偶然聞こえた。
(え?がんもと水菜だって?ずいぶんジャンルが違うな。おいしさの方向もけっこう違いそうだけど。)
と自分も心の中で勝手に感想をつぶやきふっと笑っていた。
 ひなちゃんの病状や入院中の段取りのこと以外何も考えられなくなっていた中で、誰かの何でもない穏やかな日常に少し触れられ、自分も一瞬気が晴れたような気すらした瞬間であった。
 病院に着くとひなちゃんの熱は下がっておりずいぶん元気になっていた。
 ふらふらと退散する夫を見送りひなちゃんと過ごしているとおもむろに腕に取り付けられた点滴で遊び始めた。
 点滴の管をがじがじ噛んでみたり、立ち上がり足の前に伸びた管を縄跳びみたく両足で踏みつけたり、くるくる回転し縄のごとく自分に巻きつけてみたりと、点滴の器具に容赦ない攻撃を加え始めたのだ。
「いやいや、点滴大事にして。抜けたらどうすんだっよー。」
と止める私をあざ笑うかのように今度は手を振り上げ、手のひらを固定している板を活用し私の後頭部目掛けチョップを繰り出してきた。幼児しかも病人とは思えないくらいの痛い攻撃で、こちらの動きが一瞬フリーズするほどであった。
「子どもにとっては何でもおもちゃになる」なんて聞いたことはあったがまさか生命線ともいえる点滴まで活用するとは想像もしていなかった。私もまだまだ鍛錬が足りないようだ。
 事の次第を看護師さんに伝えると
「みんな点滴で遊ぶんですよ。あの板、けっこう痛いですよね。」
と笑っており、点滴チョップは小児病棟あるあるなのだと初めて知った。
 お昼過ぎるとどうにか添い寝でひなちゃんは眠ってくれ、私はこれ幸いとばかりにベッドから抜け出すことにした。
 ところが、ベッド柵に行く手を阻まれた。あの柵の音が半端ないのだ。なぜ柵を下に下げようと金具を開き、柵を押し下げると
「ががが、がしゃん、がしゃーん!!!」
と凄い音をたてるのだろうか?どれだけ慎重に柵を押し下げても揺れと音は消せないし、ベッドからの転落防止のために再び柵を押し上げなければならない。
 いっそのこと柵を上げたまま私が飛び降りようかとも考えたが床からベッド柵の上まではかなりの高さがある。どさっと凄い着地音が出てしまう上、けがでもしてこれ以上病院にお世話になる人を増すわけにはいかない、あきらめてひなちゃんが起きるまでここでスマホでも見ていようと、まあまあまともな考えに落ち着いた。
 その日もいろいろ不便なことはあったが、どうにか一晩過ごし、次の日にはさらにひなちゃんも回復した。
 平熱に下がり、血液中の炎症反応も落ち着いてきたということで、今後は家での服薬で様子を見ましょうということになり、午後には見事退院許可が出た。
数日間の病院生活であっても、元気になって退院できるというのはやはり嬉しい。
 ひなちゃん初めての「まさかの入院」は、こうしてたくさんの人に支えられ、どうにかこうにか我々もぎりぎり乗り越えることができた。
 いつも通り、保育園に行ったり、みんなでお出かけしたり、おいしい物の話をしたり、そんな日常を再び始められることに喜びを感じた。

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