夏の醍醐味いっぱい里帰り

 帰省二日目は母の
「起きてー!朝ご飯食べよう。」
と呼ぶ声で始まった。
 台所に行くとすでに祖母(ひなちゃんにとってはひいおばあちゃん)、父母が揃っていた。兄は昔から朝が恐ろしく弱く起きてくることはなかった。
 私たち3人が席に着くと、懐かしい楕円形の木製テーブルは兄の一席を残しいっぱいになった。
 朝食は母の作ったおにぎり、味噌汁、卵焼きが並んでいた。どれも懐かしい味がした。小学生時代に運動会の時家族で食べたお弁当を鮮明に思い出した。
 ひなちゃんは普段あまり登場しない卵焼きにご満悦の様子でグシャっと盛大に両手で握りしめ、バクバクと口に詰め込んでいた。いつでもどこでも全く衰えることのないひなちゃんの食欲には清々しさすら感じる。
 自分の部屋に3人で戻ってからは再び布団でゴロゴロし、結局お昼ご飯の時間がやってきた。これぞ帰省の醍醐味、食って寝るだけの生活だ。
 午後からはさすがにだらだらしすぎかと思い、「人生初ひなちゃんのプールで水遊び」を企画した。
まず、酸欠になるのではないかという勢いで、プールに空気を入れた。
 それから縁側にプールを置き、洗面台から水を、お風呂場の水道からはお湯をと、交互に洗面器で運び続けた。廊下を何度となく往復したことで、涼しそうにバチャばちゃ水を叩き遊ぶひなちゃんとは裏腹に私は汗だくになっていた。
 プールの中央で
「苦しゅうないぞ!」
と言わんばかりにどっかりと座るひなちゃんといそいそとお湯や水を運び続ける私、そしてひなちゃんが倒れないよう背中を支える夫は、まるで水遊びに興じる姫と家来のようだった。
 午後からはみんなで少しお昼寝をして、夕方には私の幼馴染が遊びに来た。
 幼馴染とは5歳から保育園が同じでずっと一緒に遊んできた。数少ない、地元の友達だ。
 「ピーンポーン」とインターホンを鳴らし、私が
「はーい」
と返事をすると、そのまま玄関を入り、階段をドタドタ上がり、私の部屋まで入ってくるパターンは昔と変わらない。
 幼馴染とは2年ぶりで、ひなちゃんや夫とは初対面であった。
 それからなんとなく近況報告をして、みんなで日が陰ってからお祭りに出かけた。
 この日のために買った金魚柄の甚平はひなちゃんによく似合っていると言ってもらえた。甚平に張り付けた虫よけ対策シールからは独特のハーブのような香りがしていた。
 お祭り会場にはたくさんの地域住民がやってきていた。とても小さな街であるため、良くも悪くも知り合いは多い。
 親戚の夫婦や友人の両親、小学生の時の担任の先生、さらには保育園の時の担任の先生まで、本当に懐かしい人ばかりであった。
 私たちは屋台で売られていた焼き鳥や焼きそばチーズボールなど、いかにも「お祭りメニュー」を食べた。
 ちなみに焼き鳥を売っていたスタッフの一人は、私の兄であり、お祭りの実行委員メンバーの1人は私の父であったのだ。なんというコミュニティーの狭さかと改めて思った。
 ひなちゃんは母の作ってくれた野菜スティックをタッパーからつまみ出し、ムシャムシャと頬張っていた。
「これ、美味しいのよ!健康的だし!!!」
と言いたかったのかどうかは分からないがたまに野菜を周囲の人々へ見せびらかすようにかざしてから食べることもあった。最近のひなちゃんの癖である。
 いよいよ祭りのフィナーレともいえる花火の時間になると周囲の人々も静かになり始めた。
 「人生初!ひなちゃんの花火!」と思いひなちゃんの様子を確認するとさっきまで
「きゃっきゃ、うーうー」
などと声を上げていたひなちゃんは夫に抱っこされたままグーグー眠っていた。
 花火が打ちあがり「ドーン、ドーン、バチバチバチ」と大きな音が響いてもひなちゃんは
「なんだ?もう、うるさいなー!」
と言いたげにたまに薄目を開ける程度でほとんど反応することはなかった。
 私は次々打ち上げられる花火の音を聞きながら、まだ弱視で、見えていたころにこのお祭りで見上げた花火の色を思い出していた。円形に広がるオレンジや黄色、緑の粒がとてもきれいで、首がだるくなってもずっと空を見ていた。
 この瞬間に打ちあがっている花火の色も形もその時と変わっていないのだろうか?いつかひなちゃんが大きくなり、花火も楽しめるようになったら、今度はここでどんな色や形の花火が打ちあがっているのかちょっと聞いてみたいと思った。

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