ひなちゃんがこの日を忘れても
最も古い記憶は、いつの時のどんな物だろうか?
私の最も古い記憶は、3歳くらいで、米櫃の下にあった白いスチール製の小さな棚の中にすっぽりと入り、ドアを閉め、秘密基地ごっこをしていた時の物だ。
母に尋ねると確かに当時住んでいた家のリビングには棚があり私と兄はよくその中で遊んでいたそうで、記憶内容は確かといえた。極めて地味な記憶だ。
「最も幼いころの記憶は、少なくとも3歳以降の物だ」と心理学系の講義で聞いたことがある。
したがって、現在一歳一〇ヶ月を迎えるひなちゃんが今起きていることを実体験として覚えているということはないだろう。少し寂しいような気もするが、仕方がない。
それでも、私たちはひなちゃんが、楽しいと感じられる思い出を日々積み重ねていきたいと考えている。
先日私、夫、ひなちゃんと、ひなちゃんを孫同然に可愛がってくれるおばちゃんの四人で神戸アンパンマンミュージアムに向かった。
ひなちゃんの熱すぎるアンパンマン愛が醒めないうちに、アンパンマンを拝みに行っておこうと考えたのだ。何事も思い立ったが吉日である。
予想通りひなちゃんは、アンパンマンミュージアムの最寄り駅に到着した時からハイテンションで
「アンパンマン、アンパンマン」
と叫んでいた。
駅の周りには既にアンパンマンのモニュメントや石像があり、床のタイルにもアンパンマンに登場するキャラクターが描かれていたのだ。アンパンマンに会いに行こうとする乳幼児にとっては最高の前振りである。
一つ一つのアンパンマンやその仲間たちを見つけるたびに指さし大興奮のひなちゃんに、おばちゃんが
「まだ、ミュージアムにも、着いてないのに。あんたのアンパンマンコールには負けるわ!!!」
と言いつつ苦笑いするほどだった。
アンパンマンミュージアムに着くと丁度ひなちゃんと同じくらいの月齢の子どもたちがたくさん走り回っていた。
ひなちゃんもさっそくアンパンマンの街にあるような交番やアイスクリーム屋さんの模型に入って遊んだり、アンパンマンの画像に見入ったり、アンパンマンのボールを追いかけたりと全力で遊んでいた。
興奮しすぎて
「アンパンまーん、きゃきゃきゃ、ぎゃー!!!」
となんだかよく分からない気勢を上げていた。
期間限定の水遊びコーナーにも参戦し、やかんのおもちゃからばしゃっとこぼれ落ちてくる水をひなちゃんは自ら頭から被りに行っていた。
こちらを振り返り我々の存在を確認しにもどってくる?なんていうこともほとんどなく、他の子どもたちと水遊びに興じていた。
昼にはアンパンマンの絵柄の肉まんと、アンパンマン型のベビーカステラをぺろっと平らげ
「ちょー、ちょー(頂戴という意味)」
と言いながら私たちの定食にも手を伸ばしてきていた。
帰りには、アンパンマンのパン工場に寄り、アンパンマンのパンと、ミュージアムショップでアンパンマンのプリントTシャツも購入した。
いつものスーパーであればせいぜい数個のアンパンマングッズしか見つけられないが、このミュージアムショップに来れば全てがアンパンマングッズである。売り場を移動するたびにここでも
「アンパンマン、アンパンマン、アンパンマーーーーン!」
と雄たけびを上げ、何か掴み取れやしないかと抱っこ紐の中から手や足を振り回していた。
さて帰ろうかということになり、駅まで歩き始めるとすぐにひなちゃんは抱っこ紐の中で眠り始めた。
一日はしゃぎ続けていたため、一気に疲れが眠気として押し寄せてくるのは当然だろう。というか、こちらの体力も限界で、少しは寝てくれないと我々が困るというのが本音だ。
抱っこ紐で眠るひなちゃんの重さを感じながら歩いているとき私はふと、
(こんなに大はしゃぎした、アンパンマンな一日も、将来ひなちゃんが覚えていることはないんだろうな。)
と思った。
それでも、いいのだ。
あくまで私たちが、ひなちゃんのはしゃぐ様子を感じながら、一緒に楽しみたいがために、こうして様々な場所に行き多くの人に会い、思い出深い日々をおくろうとしているに過ぎないのだから。
希望を挙げるとするならいつかひなちゃんが大きくなった時、私たちの記憶から小さなころのひなちゃんのエピソードを伝え、「楽しかったんだ」、「小さなころから大切にされていたのだ」と追体験するように感じ取ってもらいたい。
例え、ひなちゃんが一つ一つの出来事を覚えていなかったとしても、
「なんだか生きていて、苦しいことよりも楽しいことのほうが多かったような気がする」
と感じ自身の人生を肯定的に捉えられるようになってくれたら私たちは幸せだ。
記憶に残らない日々の積み重ねは、その土台作りなのである。
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