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練武知新 第24話 美しく生きる為の武術

武術が護身の術として用いられていた時代。

武術は「食べる」や「寝る」のと同じ意味で「生きる」為に必要な要素でした。

不当な暴力から、自分を守り、自分の大切な人達を守り、自分の属するコミュニティーを守り、自分たちが生きる為に必要な物を守る為に。

時代は変わり、現代では治安が良くなり、不当な暴力に対しては基本的には警察が対応してくれるようになりました。

また闘争の手段も、素手や刀剣類から、銃火器やミサイルなど苦行を経なくても簡単に人間を殺傷する技術へとシフトしました。

それでは・・・

現代における武術を修練する意味は何なのでしょうか?

◯このような平和な世の中においても不意に遭遇する危機的状況に対応する護身術として。

◯健康法として。

◯生涯に渡って学べる趣味として。

◯ストレス発散の一環として。

◯価値ある伝統文化として。

◯心と体を強くする方法として・・・など。

色々とあると思います。

武術を学ぶ理由は人それぞれです。

では私はどうかというと、

悩みに悩んだ結果・・・

『美しく生きるため』

となります。

勿論、武術を始めたきっかけは強くなる為です。

何者にも負けない力が欲しくて日々修練していました。

ただ、長い年月鍛練をし続け、

同時に様々な人生経験を積んでゆくうちに、戦闘目的にのみ特化する事に違和感を感じるようになりました。

日本で一般的な生活をしていたら、そうそう危機的な状況には遭遇しません。

そこにのみ価値を求めることに何となく虚しさを感じるようになりました。

また2年間の警察官、18年間の科学捜査研究所法医係鑑定員の勤務で、多くの殺伐とした世界をリアルに経験してきました。

人間を傷付けること、人間が死ぬということを沢山見てきました。

このことも、「人間を壊す」という行為に対する違和感へと繋がってゆきます。

また昨今の異常な自殺者数に目を向けた時、「自分が自分を害する(殺す)」や「社会が人を害する(殺す)」場合、格闘技術は何の役にも立ちません。

では、何の為に私は武術を続けているのでしょう?

どうして興味を失わず探求しているのでしょうか?

そのことを時折考えていましたが、

「これっ!」

というカチッとはまる答えがなかなか導き出せませんでした。

◯武術には人間の心身を自由にするチカラがある。

◯武術には天地と繋がる知恵がある。

◯武術には自分らしく生きていく法がある。

これらは私が実感し、皆に伝えている武術の現代における大きな価値です。

私はこれを伝えることをテーマとして武術を教えています。

ただ私が一人の修行者として、今なお黙々と訓練している理由ではありません。

では私自身は武術で何をしたいのか?

ふと頭に浮かんだ事があります。

私の武術を目の当たりにした方々が「美しい」と仰ってくださったこと。

YouTubeやSNSにアップした画像や動画に何人かの方が「美しい」とコメントしてくださったこと。

しかも舞いのようにしなやかに動く八卦掌の動画ではなく、

姿勢を正し、強力な打撃を黙々と打つ形意拳の動きをです。

「美しい」

私は伝統武術家ですので、美しさを追求して訓練した訳ではないのですが、不思議と「美しい」と仰って下さる人がいます。

この「美しい」という言葉を思い返した時に、「カチッ」っと私の中ではまる感じがしました。

勿論、外見上の美しさの事ではありません。

武術をやり続けることで自然と生まれる「美しさ」。

欲望のままに好き勝手に過ごすのではなく、

武術という心身修練を通して得られる「美しさ」。

そうか。

私は「美しくありたい」のかも知れないな。

「こういう自分でありたい」と願う「自分」になることを求めているのかも知れない。

環境や経験によって心が害されることなく、

自分が「嫌な自分」になることを良しとせず、

常に自分が「肯定できる自分」「自分に恥じない自分」であることを求める。

生きることと、向上し続けようとする思いがピッタリとくっついていて分けられない生き方。

これを総じて

『美しく生きる』

と表現すると、私が武術を続けている理由にピタリと合致するのです。

武術は、自分を律することを求めます。

粗暴な暴力を、武術という形に入れる事によって、コントロールし、心身探究の法へと昇華します。

自らが美しいと思える人生を歩む。

武術には図らずも、そのような効能があるようです。

2024年8月1日
小幡良祐

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