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入学式と卒業式のシーズンになると思い出すこと

上智大学や青学で一年遅れの入学式が今年行われたニュースを見た。

私は毎年春が来ると胸が「きゅっ」となる。(きゅんでは、ない。)次男の大学受験の2011年3月11日、東日本大震災が起きた。確か1次試験を通過して、2次試験が終わった直後だったように思う。そして奇跡的に東京藝大に現役合格したのだけれど、震災で入学式は中止だった。1年生は取手キャンパスで授業が行われるので、住むところを探したが、地震の影響で電車が動いておらず、物件探しも難航。最終的に決めたアパートは新しかったけれど玄関先にはヒビ。すぐ裏の墓地は墓石や灯籠、ブロック塀が崩れていたなあ・・・。引っ越しも大変だった。配送を頼んでも取手方面には配送していない会社ばかり。長男もまだ免許を取る前で、車もない。そこで、息子3人と私、みんなで布団一式とそのほか持てるだけの荷物を持って、やっと取手まで開通したところで、本数も接続も悪い鈍行に乗って、えっちらおっちら行きました。おそらく3時間以上かかったと思う。そして運べず、配送もできなかった家具は、近所のリサイクルショップで買って、息子たちが運んで帰ってきたっけな。今になったら、あれもいい思い出。

東北の被災地の人たちに比べたら全然大したことはないから、今になったら申し訳ない思いがするけれど、当時の私にとっては、地震後のパニックが残る中、みんながそれなりに大変で、おばさんひとり頼る人もいなくて、頭フル回転して入学までの日々を過ごした気がする。憧れの東京藝大の入学式、見てみたかった・・という「きゅっ」。

そして同じく次男、藝大の卒業式。離婚が決まり、新しい職場で、未熟な技術と格闘しながら毎日追われていた。朝家を出る時、卒業式、今日じゃなかったよな・・・?とちらっと思いながら出勤。出勤してから気になって今日卒業式じゃないよね?とメールしたら、今日だよ。!!!!!やっちまった。職場が赤坂見附だからギリ間に合うかも?いや、仕事詰まってるし・・・悶々としながら普通の洋服できちゃったし、と理由をつけて、中途半端な気持ちで諦めた。後から考えるとなんでもいいから全部ブッチして行けばよかった。これがもう一つの「きゅっ」。あの頃は、正直精神的に余裕がなかった。お金もなくて3人の授業料の心配でいつも頭がいっぱいで。そうなると、脳みそのメモリの最小稼働域を守るために、みないふり、気が付かないふり、をするようになるのが常。あの時もそんな感じだった。ああ、本当に後悔する。一生に一回しかないのに。ああ、ああ、、ああ。何度ああ、とつぶやいたことか。出席できなかったからといって息子と気まずくなったわけでも、問題が起きたわけでもないけど、一度しかない光景や空気を感じたかった。だって、藝大、好きだったから。

私はあまり過去を振り返ったり、ああしておけばよかった、とか後悔することがない。過去があるから今の自分があると思うから。だけど、そう思えるように、その時その時後悔しない選択をすることが大切な訳で。そういうことをこの経験でも改めて実感した出来事だ。

春の「きゅっ」は毎年ちょっぴり切なくて、「今」を大切にしようと確認させれられる。

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