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短歌(コミュニケーション)

おみやげという名のドイツの石ころが宝石となる引き出しの中 

「見て、キリンに似てる」と言って渡された川原の石なら受け取ったのに

あなたのために買ってきたのと言いながらホールケーキを投げつけた母


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小学生の頃。海外旅行に行ってきた仲のいい友達が、「はい、これドイツのおみやげ!」ってちっちゃい石ころをくれた。ドイツの道端で拾った、アスファルトの塊みたいな石と、オーストリアの道端で拾った、赤茶色の粘土みたいな石。

受け取った私はというと、(ただの石、逆にレア!発想の転換!絶対に他ではもらえない!)と、テンションがあがっておりました。

思うに、その子は私のことちゃんとわかってくれてて、「まいたけにはこれがおみやげになる」って確信をもって石を拾ってきてくれた。それが、小学生ながらに”たしかな友情”って感じで、なんだかうれしかった。


「話し方が9割」とか、「何を話すかよりどう話すかが大事」だなんて、嘘だと思ってました。まずなによりも内容が大事じゃん、って。

けど、最近は、「その辺の石でも、なんかこれステキだよね、といいながら渡されたら受け取っちゃう」「おいしいケーキでも、顔面に投げつけたら台無し」みたいな話なんだなって思うようになりました。

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