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#179 QUEENとGLAYの共通項〜音楽性の違いを強みに変えて〜



人間の音楽的な思考を決定付けるにあたっては、その時々に居合わせた環境を含めて「親からの影響」か「中学の時に聴いた音楽」の要素が大きいと言います。

その観点で言えば、私は典型的な前者でした。それはもうごりっごりの前者ですわ。


いわゆる、親からGLAYに入って、気が付いたら親よりどハマりして、親より追うわ詳しくなるわという。まあ典型的なタイプですわね。
GLAYだと、最初に聴いたアルバムが「DRIVE」と「ONE LOVE」でした。果たして両親は4歳の息子が『彼女の"modern…"』の「S(ex)! D(rag)! R(ock'n'roll)!」だの『嫉妬』の「Kiss me more deep!!」だのを意味もわからずカーオーディオに合わせて熱唱する姿をどんな気持ちで見ていたのでしょうか。気になるけどあまり聞きたくはありません。なんにせよ、それが私のGLAYとの出会いというか、邦楽との出会いだった訳ですね。

時は流れて2004年。RK-3、小学校入学直前。6歳から7歳になろうとする頃ですね。
うちの両親は2人ともブリティッシュロックが好きなんですね。時間軸は前後しますが、中学の英語の授業でWe Are The Worldが出た話をしたらそれよりもDo They Know It's Christmas?を聴けと強く言われたくらいにはイギリス派でした。

そんな両親も実はQUEENはそこまで通ってなかったみたいで。
そして2004年と言えば第2次QUEENブーム。その最中に発売されたアルバムが「ジュエルズ」でした。これに飛びついた両親が流すカーオーディオ。これが私にとっての洋楽との出会いでした。果たして両親は7歳の息子が『Don't Stop Me Now』をカタカナ読みとは言え意味もわからず熱唱する姿をどんな気持ちで見ていたのでしょうか。先行きは不安でしかありません。
そんなこんなで結局QUEENもしっかりハマった私ですが、同世代でQUEENを愛聴する友人はさすがにいなかっただけに、ボヘミアンラプソディ の映画が大ヒットして周囲にもQUEENが拡がり始めた時はなぜか少し時代が俺に追いついてきた気がしました。すごく勝手に。
なんにせよ、私にとって一番大好きな邦楽はGLAYであり、一番大好きな洋楽はQUEENでした。


自分で作った曲にしても、この辺りの影響をだいぶ受けてる…と思います。

そんなQUEENは現在来日ツアー中な訳ですが、なんとまあ、札幌公演のゲストがGLAYとな。

えっ、GLAYとな…?さすがにニュースとリリースを見た時はびっくりしましたわ。なんじゃこのコラボ。
邦楽はGLAY、洋楽はQUEEN。そんな音楽的思考の私にこんな現実が訪れようものか。ニュースで「ほあえっ」と訳しようのない声を出しましたよ。



思えば、QUEENとGLAYって、よくよく考えたら結構似てるなあと思うんですよね。『THE GHOST』を聴いた時は「これGLAY的Another One Bites The Dustやんけ!!」って思いましたけどそういう曲自体の話じゃなく、バンドの流れとして。

よく「QUEENは日本から売れた」みたいな言説が流布されて、既にイギリスでも普通に売れていたのでそれは間違いではあるんですけど、同時に当時のQUEENは売れたがゆえか、英国内では結構大きな拒絶反応や反感を示させる事が多かったんだとか。というのも、当時はやっぱりロックならロック、ブルースならブルースみたく方向性がハッキリしたものが指揮者の評価を得られ、Bohemian Rhapsodyに代表されるように色んな要素を内包するQUEENの音楽は「中途半端」「複雑」と受け取られる事が多かったようで。

これはGLAYにも近い事が言えるんですね。
函館でメンバーが人格形成を成した4人ですが、時代は現在とは違って1970〜1980年代。今のように聴きたい音楽がすぐに聴ける時代でもなく、聴ける音楽、来てくれたアーティストに飛びつくように喰いついたGLAYの音楽性の中には、ロックバンドをやるような人達が敬遠しがちなゴリゴリのポップソングやアイドルソングも溶けていった。ただ上京すると、ビジュアル系の衣装に歌謡曲テイストも含んだGLAYの音楽はライブハウスに於いてよく言えば異端、悪く言えば「何がしたいのかわからない」と言われがちな状況になってしまったと。GLAYがデビュー前に、イカ天にミディアムナンバーを持ち込んで審査員にボロカス言われた話はそれを裏付けるようなエピソードでしょう。

今でこそ音楽のキャパの広さを特徴に変えた2組は、草創期はそれで苦しむ事もあった。つまるところ、QUEENにしてもGLAYにしても、この2組は単なるロックではなく、かといってブルースでもなく、かといってポップソングに振り切っている訳でもなく、様々な音楽の要素を複合的に混ぜ合わせた音楽性をバンドとしてずっと持ち合わせていて、売れるまでの過程に於いて、それをメンバー個々のパワー、バンドとしてのパワーに昇華させていったんだと思います。

バンドの解散理由でよく聴くフレーズはなんぞやと言えば「音楽性の違い」でしょう。音楽の趣味嗜好はバンドの方向性に繋がるので、そこが狂えば必然的にバンドとして軋みが生じてくる。それは自然な話ではあります。ただ、共に4人組だったQUEENとGLAYってメンバー4人それぞれの音楽性がバラバラなんですよね。
QUEENは「メンバー4人全員が自分が作詞作曲した特大のヒット曲を持っている」という事で有名ですが、それは単にメンバー全員が優秀な曲を作れるのではなく、作曲者ごとにそれぞれの作家性の違いが顕著に出ている。4人が全く異なる音楽性を持ち寄り、それを最終的にQUEENとしてどう表現するか…と。
それはGLAYも同じで、GLAYは世間一般で知られているような曲の作者は大概がTAKUROによるものですが、アルバムやカップリングでは他の3人の曲がフォーカスされる事も多いんですよね。アルバム『SUMMERDELICS』に代表されるように、それぞれがそれぞれの作家性を顕著に表したような楽曲を持ってくる。そしてメンバー個々の音楽性の差異を世間がイメージするGLAYっぽさに修正するのではなく、それをGLAYのキャパシティを拡張する事で吸収する。そしてキャパシティを拡げた分、バンドとして出来る表現が増え、それは新たなGLAYっぽさになっていく……。音楽性の違いが解散の引き金を引くバンド事情の中で、QUEENとGLAYはむしろ「音楽性の違いこそがバンドの強み」なんだと思います。

そんな2組が今宵、同じステージに立つ…と。
単に自分がGLAYとQUEENが大好きなので贔屓目でもあるかもしれませんが、王道のようで邪道、しかしその邪道を自分達のキャパシティで美しい芸術に変え、バンドとしてこれほどの多様性を示す類の無い2組が共演するという事は、感慨や感動以上に大きな意味を持つのでは…なんて思ったりもしています。

…それにしても、氷室京介だのB'zだのX JAPANだの怒髪天だの、憧れた人と次々と共演していくGLAYってやべえよな。もうサクセスストーリーの頂点にすらいるやん…………。

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