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夫と二人で東南アジアの旅⑧同じことが私にも出来るかな

こんにちは、住川晴代です。
2018年9月のシルバーウィークに夫と東南アジアを旅した時の旅行記を綴っています。

前回のお話はこちら。
夫と二人で東南アジアの旅⑦自分の国は好きですか?

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9/20 終日コ・ケー遺跡を見学。

今日は、せっかくシェムリアップに来たのだからアンコールワットだけでなく郊外にある遺跡も見ようということになりコ・ケー遺跡を周ることにした。

昨日まで借りていたレンタルバイクでは長距離を走るのは厳しいため、新しくセミオートマのバイクを借りて宿を出発した。

宿を出て大きな幹線道路に出るまではアスファルトで舗装されていない赤土の道路を走ったがトラックの後ろにいると道路の砂が舞って口の中がジャリジャリする。トラックの横にいても砂が舞ってくる。口を覆うものを用意すれば良かった…と若干後悔した。

アスファルトで舗装された道路を走っていても、いきなり穴が出てくるから慌てて避ける。避けた拍子に前かごに入れていたカバンが落ちそうになるのを引き止める。
道路には段差があった時は前かごに入れていた折り畳み傘を何回も落とした。

でも、道路の左右一面に広がる田園風景はすごく好きだった。
奥まで続く緑の風景は私に癒しを与えてくれた。ずっと見ていられる風景だった。

コ・ケー遺跡まであと半分まで来たところで、いきなり夫が「パンクしている気がする」と言いバイクを止めた。私は全く気付かなかったが、運転している人には分かるのだろう。アクセルを回した時の感覚がいつもと異なったのかもしれない。

バイクから降りて前後に押してみると夫の読み通り後輪がパンクしていた。

またガソリンが減ってきていることもあり、一旦はガソリンスタンドまでこのまま走りガソリンスタンドを見つけたら近くにバイク修理屋があるかどうかを聞いてみることにした。

10分程走り出すと運よくガソリンスタンドがあった。ガソリンを満タンで入れお店の人に後輪がパンクしたことを伝えるとこれまた運よく隣に修理屋が隣接されていた。

トタン屋根の下にバイクを持っていき、実際に修理をしている青年にパンクしていることを伝える。
ちょうど青年は他のお客さんの対応中だったので少し待った後慣れた手つきでサッと直してくれた。

「How much?」と聞くと、青年とお母さんが現地の言葉で話し始めた。

青年は「4ドル」と答え私たちは4ドルを渡した。
きっと青年とお母さんで値段を決めたのだろう。それにどことなく、本当は青年は4ドルも求めていないのにお母さんが観光客だから多く取れ!と助言したように見えた。

こういうときって現地の言葉が分からなくても雰囲気で分かってしまうから不思議だ。

しかし4ドルでも日本に比べたら断然安いので特に気にならず御礼を言って私たちは再び走り出した。

宿からコ・ケー遺跡までは約16キロ離れていて日本の感覚だと早く着けるだろうと思っていたが、レンタルバイクがそこまで速度が出ないので思ったより時間がかかっている。

途中、道中の風景が開けた。緑色に包まれた丘が果てしなく続いている。建物は一切無く空が広い。雲も立体的に見え、近く感じる。Windowsの壁紙に出てきそうなぐらい綺麗で、感動した。

宿を出発してから約2時間、ようやくコ・ケー遺跡の入り口までたどり着いた。入り口の横にコンクリートで作られたただのスペースがあり、おじさん塀の上で昼寝をしていた。彼は私たちのバイクが近づく音で目が覚め「ハロー!ハロー!」と叫んでいたが、その時すでに入り口を通過していたので「帰りでいいか」と素通りしてしまった。

そのあとは舗装されていない赤土の道路をひたすらに走った。道はボコボコで石も多くバイクは大きく揺れた。道路の横には小さな遺跡が点々と建っていたが、これはコ・ケー遺跡ではない。

入り口から何キロ走ったことか。なかなかコ・ケー遺跡に着かないので道の途中にいた警備のおじさんにコ・ケー遺跡はどこにあるのか尋ねた。

どうやら、入り口から続く道はぐるっと大きな円形になっているらしく、コ・ケー遺跡はぐるっと回った順路の最後にあるらしい。

「サンキュー!」と言って後にした後、夫が「今の人本物のマシンガン持っていた。あのマシンガンで人殺せるよ…」と震えていた。

夫は趣味で戦闘機や銃などに詳しく、私がおじさんに声をかけたときに最初に目に入ったのがそのマシンガンだったようだ。私がおじさんと話している間にいつ打たれるのかとヒヤヒヤしていたらしい。

そんなことを話していた時に、道路の真ん中にあった溝にバイクがはまって前かごに入れていた折り畳み傘が落ちた。


「あっ!」と思って後方に落ちた折り畳み傘を見た時に、乗っていたバイクも転倒した。


夫と私は地面に叩きつけられた。一瞬何が起きたか分からなかったが時間が経つにつれて膝が痛んでくる。

私は上体を起こして痛む膝を見た。ズボンが破けて擦り傷が出来ていた。
すぐに夫に声をかけたが夫は転倒した際に後方に落ちた折り畳み傘を見ていたため足に加え左肩から腕にも擦り傷が出来ていた。しかもこの時夫は半そでだったため転倒した際の衝撃を直接肌に受けていた。

二人の体に出来た傷がジンジン痛む。夫と私にはコ・ケー遺跡を見る元気はもう無くなっていた。

「もう帰ろうか」とお互い同意して宿に戻ることにした。

前かごに入れていた全ての荷物は後部座席に座っていた私が持つことにして、赤土の道路を再び走り出した。

走ると風を受けるので傷口がジンジンする。転倒した場所から少し走るとコ・ケー遺跡に着いた。

どうやら私たちはコ・ケー遺跡まであと少し、というところで転倒したようだった。

コ・ケー遺跡を横目に見ながらバイクを止めることなく道路を真っすぐ走り、コ・ケー遺跡の入り口に戻ってきた。

先ほど私たちに「ハロー!」と叫んでいた人は今度は起きていた。おじさんはチケット売り場の人だったようだ。おじさんの元へ行き、事情を伝えた。

「コ・ケー遺跡に向かう途中でケガをした。コ・ケー遺跡は見ていない。」

おじさんも傷の大きさに驚きティッシュを持ってきてくれ「チケット代はいいよ」と近くの病院の場所を教えてくれた。

「本当にありがとう。」と御礼を言ってその場を後にした。

病院の場所は教えてもらったものの、一刻も早く宿に戻りたかった私たちは教えてもらった病院には向かわずに元来た道を走った。

帰り道が早く感じるのは何故だろう。一度通った道だからか?数時間前に感動していた景色が過ぎていくのが早い。
とにかくアクセルを全開にしてバイクを走らせた。現地の人をたくさん抜かしていった。

途中とある青年を抜かそうとした時に、彼がこちらを見た。
夫の傷は半袖から丸見えで傷口が外側を向いているのでみんなに見える状態で、それを見た青年が口に手を当てて驚いている素振りをしていた。
彼と横並びで走っている時間が数分あり、その間に彼は「大丈夫か?病院行った方がいいぞ」と言ってくれたが、私は「オッケー!オッケー!」と返して彼を抜かした。

途中、私たちはバイクを道路脇に停めて水分補給をした。
その間に先ほどの彼が追い付き「やっぱり病院行った方がいいよ。ついてきて!」と強く言ってくれた。
私たちは彼の優しさに甘え、ついていくことにした。

彼の言う病院はそこから10分程走った場所にあった。私たちから見ると病院というより診療所だ。
バイクを止め中に入ると病院にいる子供たちが不思議そうな顔をして私たちを見ていた。

診療所の受付のおばさんに彼が事情を説明してくれて、すぐに病室に案内された。
すると先ほどの子供たちも「なにごとだ!」と同じ病室に来て野次馬になっていた。
私たちのような観光客が診療所に来ることが珍しいのだろう。

病室に案内された後は先生の言葉を彼が英語に訳してくれた。
まずは私から。傷口の砂を落とし消毒液を塗って終わった。ガーゼなどは付けず傷口は丸出しのままだ。

次は夫の番。夫は左足と左腕に傷を負っていて先生も重症だと感じたのか私と同じ治療のあとに別の薬を塗り包帯を巻いていた。

日本よりも簡素な治療だと感じたが、「それでも十分治る」というのがカンボジア流なのだろう。薬に頼らず人間の持つ治癒力を大いに使っているような気がした。

治療が終わった後、彼に値段を聞いた。海外で受診すると高くつくと聞いていたので料金を心配していたが、彼が受付と交渉してくれ夫と二人で2ドルにしてくれた。

彼に何回も御礼を言って一緒に診療所を出た。バイクを発進させようとしたが、ペダルが上手く動かない。どうやらあの転倒でバイクもやられたようだ。

それを見た彼はバイクの修理屋にも連れて行ってくれた。
今日一日でバイクの修理屋に2回も行くことになるとは誰が予想出来たことか。

修理屋は診療所の斜め前にあった。彼が事の経緯を修理屋のおじさんに説明し終わるとあっという間に直してくれた。
そこでも彼が交渉してくれて料金は1ドル。ついでに修理屋のおじさんに「カンボジアの道路はボコボコしているから荷物を前かごに入れるとふらふらするよ。足元に置くと良いよ。」と温かい助言をもらった。

修理屋を出る前に、彼とfacebookのアカウントを交換して「何かあったら連絡してね」と言い彼は先に去っていった。
次の約束までの間に私たちの相手をしてくれていたのだ。

帰りは荷物を足元に置いてバイクを走らせた。夫曰く、思ったより安定しているらしい。

バイクに乗りながら夫と二人で今日出会った彼について話していた。
彼の優しさを振り返ると自然と涙がこぼれた。見ず知らずの観光客が怪我をして病院に連れて行って値段まで交渉してくれて。

日本で同じことが起こったら自分も同じことが出来るだろうか。

コ・ケー遺跡を見ることが出来ずケガも負ったが、不思議と悲しさはなかった。彼に助けてもらったことで悲しさを上回るほど心が温まったからだ。こういうのは旅ならではの出会いだと思う。

「今日は良い一日だったね」と夫と二人で話していた。

宿に着いてから無事に帰宅したことを彼に伝えた。
すると彼から返信で私と夫が病室で治療を受けているときの自撮り写真が送られてきた。私たちが辛い治療を我慢している間に自撮り写真撮っていたんかい!さらには彼のfacebookでその写真が投稿されていた。

日本人を助けてあげたよ!と言うために助けてくれたわけではないと思いたい。

夜ご飯は宿からナイトマーケットに行く途中にあるピザ屋さんで食べた。
この旅では夫が金庫係をやっているがシェムリアップに来て3日目でドルとリエルの混合支払いを完璧にこなしていた。カンボジアではドルで払ってもお釣りがリエルで返ってくるためリエルがどんどん増えていってしまう。この後のタイではリエルよりもドルを持っていた方が価値が高いだろうから、カンボジアにいる間にリエルを消費しておきたいところだった。
夫はお会計の小数点以下はリエルで支払うことでリエルを減らしているようだ。さすが夫だ。天才か。

宿に戻り傷口の痛みに泣きながらシャワーを浴びた。
寝る頃には夫と私は熱が出ていた。

これもまた、旅の思い出。
カンボジアの素敵な風景とカンボジア人の彼の優しさに触れた1日だった。

明日はいよいよバンコクへ向かう。


夫と二人で東南アジアの旅⑨数時間前まで違う国にいたという不思議な感覚に続く。

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