見出し画像

自分がやられて嫌だったことは、他の人へやるな。

自分は幼児の親なので、日常の中で親としていろいろ言わないといけないことがあるわけで。

「自分がやられて嫌だったことは、他の人へやるな」と結構な頻度で言っている。

そんなことを言っておきながら、だが。

テレビやネットのニュースを見たり、街中や会社で内部の人間関係を見たりしたら、「君は、同じことやられて平気なのか?」と思うことがいろいろあって。
そもそも、言っておきながらなんだが、気をつけていたって自分が完全にそうなのか、とか。

何だかそれが無性に哀しくて。

なんやかんやいって、喧嘩つまり争いに勝った側が正義で権力。

歴史は勝者のもの?

正しさも勝者のもの?

正しさってなんだっけ?

平和や秩序は、今の勝者の力が安定して続くために、何も起こさないために保つもの?

勝者の力をひっくり返したければ、また争って勝つしかないのか?

その過程で、自分がやられて嫌なことを人にやって、同じことを自分に対してやられる覚悟はあるのか?

わからない。

わからないけど、とりあえず大人として言っていた。

自分の中でクリアな答えは出ていないけど、とりあえずで言っていた。  

大人だと思っていた大人はそういうものかな。
こんなこと思っているうちは大人になれないかもな。
思わなくなったら嫌だけどな。
そもそも、大人って絶対的じゃなくて相対的なものだけど。

それでも、どうしても言わないといけない気がしたから言ったんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?