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0188 【書く習慣days15】結果を知っても、回避できない世界

梅雨明け以降、日差しが痛い。紫外線の暴力の凄まじさに、外に出なくなってしまった。ラジオ体操とストレッチで、運動不足解消のすべてをかけている。

本日のお題は、「誰かにおススメしたい本」である。
タイトルは、某ボスのスタンド風。

30代に入って読書を始めた。
このため、いわゆる読書をする人々が通常読んでしかるべき作家を読んでいないと自覚している。好き嫌いも激しい方なのは知っている。
だから、あまりこう、本を勧めることはしてきていない。これは面白かった!という記事を書くことはあるけれど。

読んでみて!ということは苦手だが、これはのめりこんだなぁという本を3冊上げる。

  1. ベトナム戦記(開高健)

  2. 冷たい夏、熱い夏(吉村昭)

  3. 白夜を旅する人々(三浦哲朗)

「ベトナム戦記」は、本を紹介する雑誌を、たまたま立ち読みして知った。それがなければ知らないままで終わったか、戦争という言葉に手を引かれて、いつかはたどり着いていたかもしれない。
(ブクログに登録したのは、12年前だった。時間の流れが怖い。)
記者とは違い、接する人々すべてに対して、まっさらな態度で接している。イデオロギーを介さずに見る戦場は、誰にとっても悲惨であった。
こんな死に方があるだろうか、と茫然とした。

「冷たい夏、熱い夏」は、吉村昭の弟が、癌と診断され、亡くなるまでの記録だ。これがまた、介護であるとか、闘病であるとかで済まされないのである。吉村が若い頃、結核で死にかけた時、彼を懸命に支えた弟が死んでいくのを、吉村は兄だけでなく、本人にも告知しないままなのだ。
当人の苦しみ、吉村の苦しみが、抑えられた筆致から、脳を締め上げるように迫ってくるので、ページを繰る手が止められない。
買って積んだまま、2年後の夏に、突如軽い気持ちで、夏の夕暮れに読み始めたが、3時間ほど闇に閉じ込められ、生きた心地がしなかった。

「白夜を旅する人々」は、三浦哲朗の家族が一人、また一人と欠けていく過程の物語だ。
三浦哲朗は、私の小学生の頃の教科書に載っていた「盆土産」で知っていた。ある日「盆土産」を唐突に読みたくなり、文庫を買ってから、三浦哲朗に興味を持った。それからほかの作品も読み始めたのであるが、まさか兄弟が次々と自死、あるいは行方不明になっていく背景を持った作家だとは思わなかった。
何度か、noteの記事で取り上げているが、私は消えていった兄や姉らの、どうしようもなさが分かる気がする。
作家自身は、「人肉を食らっても生きようとする姿勢」に共感すると書いているような人であるが、弱った心に、その光は強すぎる。

この三人の作品に共通するのは「死」だ。
理不尽な、どうしようもできない、逃れられない状況の死。
不意に訪れる死。
そんな死が、淡々と描かれている。
隣にいた人が、不意にいなくなるというくらいの簡単さで、死が急に自分の足元に転がるのだ。

三浦哲朗と開高健は読み返しているが、吉村昭は怖くて再読できずにいる。
再読しようと思いつつ、勇気がでない。
何度も読みたい本、怖くて読みたい本、そんな本に出会たということは、幸せなことだ。


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