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0568 鳥山明先生

鳥山明先生が亡くなったというニュースに接し、昼休みに声が出てしまった。
何日か前に、ニュースで、サンドランドの記事を見たばかりだったから、驚くというどころの騒ぎではない。

私は、ドラゴンボールを読んで育った世代だ。
アラレちゃんは小さい頃アニメで見ていた。漫画というものを知らないくらいに小さい頃。

ドランゴンボールはベジータが大好きすぎて、かなりこじらせていた。
ベジータが描いてあるものは何でも集めた。
フリーザに殺されたときは、ずっと泣いていたなぁ。漫画で見て泣いて、テレビで見て泣いて。しばらく思い起こしては泣いて。
原画展みたいなものにも行きたくて、親にせがんで連れていってもらった。(おこづかいではとても行けなかったし、一人で電車に乗るなんて、びびりでできなかったお年頃)コミケで本も買ったなぁ。今も何冊か残っている。

悪役のベジータが好きなので、セル編の終わりころには何となく気持ちが薄くなり、ブウ編で一瞬ときめきを取り戻したけれど、やっぱりだめで(笑)そのまま何かここまで熱烈にはまるものがないままとなっていったのだった。

追悼コメントで、ベジータの声優さんが、自分のことしか考えていなかった彼が家族を持ち…なんて言っていたけれども、私には、ベジータが自分の考えで、自分のやりたいように生き、活躍する姿がまぶしくて、憧れだった。親に抑圧されて我慢していた反動かもしれない。
ベジータみたいになりたいと、本当に拗らせてはいたけれど、ベジータというキャラに出会わなかったら、私は自分がどうなっていたか、まったく想像がつかない。
大学や高校など、どこへ行こうとどうしようと、今の私にたどり着いたであろうことは何故だか確信が持てるのだけれど、ベジータだけは外せない。

そんな世界観を生み出せる、描ける先生がいなくなってしまった。
まだ若いのに。急すぎて、スマホに向かって嘘でしょ、と呟いていた。
気持ちが落ちて、どういうわけかずっとXJapanのエンドレスレインを聞いている。

ベジータがいたから今の私があるし、漫画を描こう、小説を書きたい、創作したいにつながっていった。
自分で考えて、自分の目指すところへ、自分の力でたどり着いていいと知ったのもベジータの姿からだ。
趣味も、人生も、彼が私のスタートだった。

先生、大変お世話になりました。しんどい時、救ってもらいました。
だから私はここまで生きられました。もう言葉が何一つ出てこないけれど、感謝と寂しさを込めて。


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