0369 ここ以外であれば、どこへでも③
私がかつて書いていた物語の登場人物に、神谷という名の大佐がいる。設定は、日本陸軍の歩兵連隊連隊長である。
彼は軍刀を愛し、銃を好んだ。戦争というよりは、戦闘に興味があるので、たくさんの命を奪う兵器を何より慈しむ、それ以外には興味がないという人物である。
実際にあった組織を舞台として使ってはいるが、そこは創作である。「物語」として、私は彼の部下の一人を兵器にした。
人間の形をしているが、喜怒哀楽の感情がなく、持ち主である神谷大佐に教えられたとおり、望むとおりに敵を殺す武器である。持ち主以外が何を教えても、大佐の言葉だけが正しいので、絶対に受け入れない。受け入れたとしても、大佐の教えたレールに沿った解釈を行うために、どうしても発想が兵器の枠を出ない、という少年兵である。
彼らを考え付いた当時はまだ、人工知能という物は今ほど身近ではなかったが、もし今この話を書くとしたなら、私はAIをモチーフにして、この兵器を書いたろう。
死への恐怖がない。殺し方は教えない。道具を与えるだけで、あとは学習をする。
米国のAIパイロットのように、人が命を守ろうとする動作につけ込んで、そして、己は死ぬ意味も恐怖もないために、的確な、迷いのない判断で、敵を殺すのである。
そして、その兵器をこよなく愛する神谷大佐は、冷たくて優しい、己の言うことを確実に守る「物」を最後まで手放さない。たとえ物理的な距離があろうとも、彼は言葉で兵器を縛る。
開高健は、物を愛する人間は、人間に絶望していると書いた。物は変貌せず、沈黙したまま、触れられるまでは動こうとしないからだという。
この大佐は、何に絶望し、兵器に傾倒したのだろう、などと考えながら、彼ではなく私がそうだから、私の代わりに大佐は兵器を大切にするのだという結論に達したのだった。
私は人間が好きではない。ただ、生きていくためには人間である必要があることくらいは分かるので、社会性のある生き物としてなんとかかんとか暮らしているし、危ないことを実際に実行しようという気もない。
ただ、創作くらいは……
戦争の本ばかりを読んでいた10代のころ、そういう本ばかりを読んでいるというだけで、いずれ犯罪を起こすのではないかと母に言われ続けていた。
母は、「お前には兄弟がいるのだから、迷惑をかけるな」と私を怒ったものだった。
だから、自分の内を吐き出して、作り話である創作の中くらいでは、私はこの大佐となったって親族に迷惑をかけることなく、人間が嫌いでいていいはずだ。
私にとっての言葉とは、創作とは、この世を生きるための仮の姿を支えるための影である。
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