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0176 【書く習慣days6】陳腐な忠誠か、正直な生き方か

先日初めて野生のスッポンを見た。
これを最初に食べようとした人は、どんな状況だったのだろう。

さて、今日のお題は「最近はまっていること」とのことで、考えてみる。
考えてみないと、何にはまっているのか自覚できないのはいかがなものか。

現在お休み中のため、時間はある。
これを機会に、じっくりと本を読んでみようかと思い立ち、小難しくて積読になっている本を開いている…というのが、はまっていると言えば、はまっていることだ。

そして案の定、悩みながら読んでいる。

「読み」の整理学から言えば、アイヒマンの方はほぼほぼベータ読みとなる。これがするっと読めず、言葉やら人名やら調べつつ、何度も何度も後戻りしながら読んでいる。
「悪の陳腐さ」が少しでも分かればいい。

分かっていない段階で言うのは何なのだが、何となく知っている部分と、こういうことか?という想定を踏まえて考えたことは、「悪の陳腐さ」は私の周りのイエスマンたちのことなのだろうかということ。

「私の言うことは正論だけれど、組織人としては失格」であると言われている。
きっと正しいことだ。自営業ではないので、組織の意向に従い、仕事をするのは当たり前のことである。
自分の思いと、組織の要請の矛盾につぶれた私は、復職するにあたって、何を優先順位に持ってくるか、何処を妥協するか、など考えないとならない。
この頃は、まぁ仕方ないか、楽に生きねば、と気持ちが落ち着き、身と心を削った仕事の仕方はしないという妥協案に落ち着いたのだが、これはきっと、組織人からしたら、だめなやつなのだろう。

今の上の人たちは、今後への影響等を考えることを放棄して、そのさらに上の人たちが喜ぶように動いている。yesしか言わない。
それってアイヒマン…とか思いついたのだが、いまだ上記の本の一章も読み終わってないのだから、早合点になりそうな気がする。
読み終わった時、どういうゴールが私を迎えてくれるかしらん。

なかなか、ブチャラティのようには生きられない。
(急にジョジョの話か!)

はまっている話から、かなり飛躍をしてしまった。

最近は、読みやすい本がたくさんあるけれども、たまには読み終えられないかもしれないような本を読むのもいいかもしれない。
まだ積読本で、「意味わかんなーい」と言いたくなる本がたくさんあるので、お休みが終わっても、腰を据えて読むようにしたいものだ。

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