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0556 電車の会話は気をつけたい

今日の帰宅時、電車内で若い女性二人が何やら年金に文句をつけていた。

どうせ今払っているものは無駄であること。
自分たちは年金などもらえないこと。
その分を自分で貯金した方が、老後安心すること。

二人のうち一人は、マスクを外せばどや顔だろうと言わんばかりの、いっぱしの批評家のような声音であった。

ちがうんだ、君たち。
今払っている年金は、今のお年寄りのためのもの。世代間での支え合いというやつなんだ。
だから、自分がもらえないというのであれば、少子問題を何とかしなくちゃいけないし、君が選挙に行くときによくよく考えて選ぶしかない、それはもう地道に。バカは当選しないんだと分かるまで、気長に、そして真剣に。ちょっとやそっとのことでは、改革などにならないだろうから。
改革ってそういうものだ。

と、思いつつ、資格のテキストを読んでいた。聞きたくもないが、隣にいるものだから、聞こえてしまう。
関西人から見ると、東京の電車は静かだというが、これだけの大量の人が詰め込まれている車内である。誰が聞いているかも分からない中で、無知を晒すこともあるまいと思ってしまうのは、関東人だからだろうか。
(いや、YouTubeでみた関西の人の会話は、こういう批評家風ではなかった。ぼけつっこみまで一連の流れがそれは見事であった。知らない人同士なのに)

車内には色々な人がいる。
間違えた知識であることも、車内にいる多様な人間の存在についても、大人になると、誰も教えてはくれない。
彼女はこのまま、テレビのコメンテーター気取りで生きていくのだろう。結婚指輪をしていたのだが、仮に子供がいたら、その子が心配だ。
こんな大人になるんでないぞ。おばちゃんからのお願いだ。

まぁ私は子どもいないから、彼女くらい真剣に老後を心配をした方がよさそうなものだが、年金よりもこの国があるかどうかすらも分からないと思っている。
地道に自分に与えられていることをしっかりやっていくしかない。
この処世術は、ロスジェネの長所である。

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