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修士・博士の指導教員(文化人類学)との出会い

変わった人だった。

他の先生がおられるところではあまり話をされない人だった。他の先生方がわたしたちのことをどういうのかと、その出方をいつもじっと観察しておられる人だった。


先生と研究の方向性について話しあうとき、いつも今日こそは勝つぞ(?)と思って先生の部屋をノックするのだが、結局一度も勝てないままだった。


多分先生とわたしは気がすごくあっていた。にこにこ語りあう仲の良さではなく、先生が研究室(共用)にこられると、先生と私はお互いに全然違うことをしていてもお互いの背中の目でなんとなくみている、何やら猫が背中の毛を逆立てにらみあっている、みたいな。それは仲がいいのか(笑)。


院入試のとき、わたしは点数が悪かったらしい(でも一応一次は受かっていた!)。特に、外国語の点数のことを二日目の面接でボロカスにいわれた。京大は外国語の試験に第一外国語と第二外国語があって、第一を九十点、第二を十点にして好きなものを選べたので、わたしは第一を中国語(短期留学直後だった)にしてすべてを賭け、第二の英語は白紙でだした。だって十点じゃんかよぉ。

ということを面接で説明したら、将来の指導教員ではないほうの教員に、鼻で笑われながら「(第一が)この出来で?」といわれた。そして指導教員(その頃はまだ顔をぞんじあげなかった)に「あなたは今回は落とします。英語を勉強してまたの受験の際におこしください。」といわれた。わたしはその瞬間に涙がドッとでてしまった。他大学院では外国語出題の形式が違っていて、京大なら中国語だけでもいいと思った、京大なら研究をさせてくれると思ったのに、というようなことを涙をドバドバと落としながらいい、泣いて泣いて(どうやって試験会場からでてきたのかあまり覚えていない)、面接会場の建物の地下のトイレでトイレットペーパーを何本もつかって泣いて、帰りの夜行バスで泣いて、家に帰ると自室にこもり、受験だからとやらずにとっておいていたスーパーロボット大戦(テレビゲーム)をはじめた。昼も夜も遊びつづけ、4~5周(遊びすぎ)を終えた頃、でもやっぱり研究がしたいなと思い、しょうがない、また勉強をはじめるか、とショボショボと立ち上がったころに、院試の結果が送られてきた。


結果



「合格」




おぅ…



これは…


事務のミスに違いない。


だってあんなにはっきりと「あなたは落とします」といわれたではないか。ミスだが、もし黙っていたら入れてしまうのではないだろうか?

ミスだと事務にいわれたらそのときは「そうですかー」といえばいいのだ。こちらから申告する必要はない。なので事務がみつけないように、みつけないようにと願いながら入学の日まで息をひそめ、入学してしまえば既成事実と入学式に出て(ビクビク)、ゼミの新入生歓迎会を終えたとき、指導教員がニヤニヤしながらこちらをみていた。

ふつうは合格が決まった時点で先生に挨拶にくるべきだったらしい。

知らないよ、そんなの。

現代でも「なんかの間違いで京大にはいってしまうこと」はあるのである。

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