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【読書】『ファンタジーを読む』河合隼雄
「たましいの現実」としてのファンタジー
おもしろい。
おもしろいおもしろいおもしろい。
語彙が消滅するほど面白い。
読み終わった後しばらく、
ほんとうに文字通り、
語彙が消滅した。
この本の著者、河合隼雄。
彼は臨床心理の第一人者で、心理療法を行う際に「たましいのはたらき」というものを一貫して大事にした人だった。
曰く、人が深い傷を自ら癒すとき、そこには「たましい」としか呼びようのないものの力が働く、というのだ。
この、人を自己回復へと向かわせる「たましいの作用」について、彼は実に深い思索を重ねる人だった。
そしてその思索のためのツールとして、「物語」をよく用いた。
物語(ファンタジー)と心理療法の関係について、河合はこう記述する。
「ファンタジーというと、空想への逃避という言葉を連想し、それに低い評価を与えようとする人がいるが、ファンタジーというのは、そんなに生やさしいものではない。それは逃避どころか、現実への挑戦を意味することさえある。」
「『たましいの現実』というものが、ファンタジーには見事に描かれている。
人間の心、そしてその奥に存在すると考えられる、たましいのはたらきに接する心理療法の仕事をしているものとして、児童文学から教えられることは計り知れないものがある」
優れたファンタジーは、物語を通じて「普遍的な真実」に繋がってゆく。
ちょうど、個々の井戸が地下深くで同じ水脈と繋がっているように。
この水脈こそ、河合の言う「たましいの現実」なのだと思う。
現実というのは、思いのほか多層的だ。
あるひとつの事柄は、どの視点から、誰の立場から見るかによって、がらりと様相を変える。
人が成熟するということは、自分がいま見ているたった一つの層だけが現実ではないと気づいていくことでもあるのだろう。
そのいくつもの層への理解は本物の智恵となって、自らの傷を癒す助けにもなる。
「たましいの現実」であるこの深い深い水脈は、きっととても見えにくい層に流れている。
わたしたちが日常的に体験する「現実」とはあまりに違う層に存在しているため、
「これはほんとうの話ではないのだけれど…」という「ファンタジー」の形をとることでしか表現できない種類のものなのだ。
けれどそれは確かにわたしたちを形作る「現実」で、深い水脈であるがゆえに普遍的で本質的な現実だ。
本書では、
「ゲド戦記」「トムは真夜中の庭で」「床下の小人たち」などの珠玉の名作ファンタジーを、河合が深層心理学の視点から読み解いてゆく。
その知的な探索に同行するのは、
言葉を失うほどのめくるめく体験だった。
読後、ここで紹介されているファンタジーをすべて読破したくなります、きっと。
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