家族の風景 〜撮った写真を見返して感じたこと〜

個人的に凄く素敵な息子と娘の写真が撮れて
(正しくは妻が撮って)
個人的に心の琴線に触れるものがあったので、
写真というものを題材に
何か書いてみようと思った。

きっかけはそこで、
まずは『写真』という言葉の意を
広辞苑で調べてみる。

いくつか意味はあるけれど、
気に入った解釈はこちら。

『ありのままを写しとること。写実。』

ありのまま。
なるほど。いいじゃない。
その時の『素直な気持ち』まで、
撮れた写真だった気がして、
自分の琴線に触れたのかも。と、
そんな事を思う。

子供に対して、
ピースしなよ…だとか、
笑いなよ!だとか。

自然体を撮るって逆にいうと
凄く難しいなと思いつつ、
その絵を撮れたこと自体に対する満足感と…

それと同時に思ったことは、
親としての正解なんて分からないままに
模索している中で、
子供が全力で笑ってくれているという
そんな風景を写真を通じて見直せた事に
自分の親としてのミッションというか。
責務に対しての、安堵感というか。

この年代になると頭でっかちな部分もあって、
捉え方次第では、生き辛いとも思える
そんな側面もある世の中で、
ある種、自分のエゴで生まれてきた子供が

たとえ瞬間刹那でも
ありのままに笑ってくれている姿を見て、
励まされる気持ちと、

励まされる。。うーん。
やっぱ言葉としては安堵感?なのかしら?

笑顔だけが『生』における指標ではないけれど、でも笑顔って特別な表情であり、
それが自分の近しいところであればあるほど、
なんだか効果は絶大だ。

なんて、そんな事を思った。

後、全然話は変わるけど、
20年後、娘、息子がこの写真を見た時、
zozotownって何? って、
そんな話になるかもしれない。

パパの時代はネットってやつで服を買うのが主流になってきてとか言って。

そんな妄想にふけりつつ、

思い出話にふけるための
これは貯金かしら?なんて。

時代を切り取る醍醐味も、
別の側面で、また面白い。
そんな事をふと、思ったのです。

携帯のボタン1つで写真が残せる
こんな時代ですが、
あなたは写真を撮っている時、
撮った後、それを見返して何を思いますか?

と、そんな非生産的な設問の投げ掛けで、
本日は締めようかと思います。

読んでいただいた方、
ありがとうございました。


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