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イースター礼拝&炊き出しの一日|日記

 勉強会のため毎月通っている教会。礼拝に参加するのは1年に一度、クリスマスのイヴ礼拝のみです。ですが、今年は復活祭イースター礼拝にも行って来ました。
 午後からは炊き出しの当番だったので、別の教会に移動して60人分のカレーライスなどを作って、生活にお困りの方々にお配りしてきました。

 さすがに疲れたので、昨晩はnoteを覗く元気もなく早々に休みました。今朝ようやく「復活」したので、まとめておこう…と、この記事を書いています。


 復活祭(イースター)というのは、キリスト教徒の方々にとって、核心部分であり、一年のうち最も大切なお祝いの日です。日本では年度替わりの慌ただしい時期であることから、(日本でキリスト教の入り口となっている)キリスト教系の学校でお祝いをするのが難しいこともあり、2番目に大切な日であるクリスマスのほうが大きく取り扱われています。

 クリスマスイヴの晩に行われる礼拝は、イエスさまの誕生の経緯が語られるため、生誕にまつわる貧困や迫害といった「影」の部分も述べられ、その中で「救い主があらわれた」ことを寿ことほぐ、という流れです。
 一方、昨日のイースター礼拝は、直前の磔刑にはあまり力点が置かれていなくて、「復活された喜び」に基づく、晴れやかな雰囲気でした。年齢の低いお子さんも一定程度参加されているので、受難については生々しすぎて語れない、という背景もあるそうです。とはいえ、式次第(週報)の日付「復活日/復活節第1主日」というさりげない記述からも、「受難節」を終えた歓びの季節であることが伝わってきます。

 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

マタイによる福音書28:1-10
(新共同訳)


 福音書によって、この時「現場」にいた人々の顔ぶれは少しずつ異なっていますが、主役が女性たちであったことは、当時の(男性中心の)時代背景において注目すべきことのようです。磔刑の時も、自分たちの身の安全を図るために男性の弟子たちは全員逃げ去って不在、頭数あたまかずに入れてもらうことさえなかった女性たちは逆にその場で見届けることができた…といったような社会でした。(女性たち、立ち去る自由はあったのに見届けた愛情と胆力はすごいと思います。)
 ここから汲み取るべき第一のことは、イエスさまが男女の別なく「人間」を、「ひとりひとり、顔の見える存在としての個人」を大切にしておられた、ということです。また、当時、極めて軽く扱われていた「子ども」も、村八分になっていた病人や罪人も含めて、「すべての人」を大切にされたことも、当時としては驚嘆に値する先進的な考え方だったそうです。

 それはともかく。物語としてマタイ伝を読むと…マリアさんたちが、非業の死を遂げたイエスという「支柱」を奪われ、なにもかも失ってしまった虚無に打ちひしがれていたときに、その「師」が生き返っていたと知るのは、どれほどの喜びだったでしょうか。
 そのイエスさまの第一声が「おはよう」だった…というのは、文字通り読むと、かわいすぎてツボなんですが(寝癖男子♡)、ここは翻訳の都合の話で、口語訳聖書では「平安あれ」と訳されています。牧師さまもそう付言されていたので、その意味の方がわかりやすいかもしれません。




 イースター礼拝といっても、定例の礼拝でもあったので、続けて「洗礼式」と「聖餐式」が行われました。(傍観者なので、いてもいいのか恐縮しつつ…)

 洗礼式は、「キリストを救い主として受け入れ、恵みと愛により頼むこと」「忠実な弟子として、生涯、キリストの愛の証人を志すこと」「教会員としての責務を果たすこと」を誓い、約する式です。
 知らない方ではありますが、厳粛な場に立ち会うことができ、とても印象に残りました。(そして、私にはやっぱり無理かな…とも思いました──それぞれ「できないから困っています」「後半は大丈夫かも」「・・・。(在野がいいです)」)

 聖餐式では、赤ちゃんせんべいみたいな丸くてかわいらしい「パン」と「ぶどう酒(ジュース)」を厳かに。
 「パン」は個包装だったので、おそらくコロナ以降の仕様なのかな、と想像しました。イースターエッグはコロナ以来カプセルになったと伺ったので、いろいろな対応に苦慮されたのだろうと思います。
 ひとつのパンをちぎって会衆に渡し、みなでいただく時期があったのなら、象徴的な意味合いも、コミュニティとしての一体感も、より高まりそうですね。そうでなくても、教会や礼拝の果たす役割の一端を垣間見たような気持ちになりました。よい経験でした。


記念撮影
カプセルの中身はお菓子でした🌸




 最後に、各福音書の「復活」の記載を引用しておきます。ご興味があれば・・・
 どれも、新共同訳です。

 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

マルコによる福音書16:1-8

 婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。
 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

ルカによる福音書24:1-12


 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。

ヨハネによる福音書20:1-10




 なにかと忙しかった1週間も終わったので、これからはカメラを上に向けて桜を撮る日々が始まります。みなさまのnote読みが少々追いついていなくてごめんなさいm(._.)m 花は待ってくれませんので…。

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星の汀 / ほしのみぎわ
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