それでもハッピーエンドでは"すっきり"できないあなたへ|劇団四季《リトルマーメイド》観劇レポート
少数派の感覚かもしれないので、タイトルに据えて長々と述べるのも恐縮なのですが、私はハッピーエンドでない物語の方が好きなのかもしれない、と思うことがあります。
この『リトルマーメイド』および原作のアンデルセン『人魚姫』は、そのことを考えるのにうってつけの素材なので、考察してみたいと思います。
結論というか落とし所は「登場人物が幸せかどうかとは違う次元で、物語の構成として、ストーリーが閉じている悲劇の方が、最後まで見届けた感を得られるため、納得できるのでは」ということ。
ですが、それは後に譲ることとして、物事の順序としてまずは、観劇レポートから。退屈しにくいよう写真も挟みつつ...。
🐠チケット予約〜公演
聞くところによると、劇団四季の広島でのロングラン公演は8回目、『リトルマーメイド』については初上陸。私も初観劇でした。
ロングラン公演はお客さんが分散しますので、最前列の席を取るチャンス。この1年間、《四季の会》会員になっているので、会員向けチケット解禁日初日、開始時間にスタンバイ。
Webは混み合うとの噂もあったので(うちのルーターは貧弱だし)自動電話予約システムでチャレンジしました。
たしか10分たたないうちにアクセスできたのですが、その時点での最良の席を自動で割り振られるため、最前列ながら端も端...という、やや不本意な場所に。舞台を正面から見られるほうが好きなので、数列遠ざかってでも真ん中が良かったのですが。まあ、AIが奨めてくれるのだから良い席なのでしょう、と、思うことにして。(同行者に申し訳ないのよね💦)
いざ舞台が始まると、確かに斜めではあるものの、アクターの衣装を立体的に見ることができて、それはそれでよかったです。目の前が開けているので、蒼の世界に自分も迷い込んだかのようでした。
青がお好きな方に、それだけの理由でオススメしたいほど、青の幻想を堪能できる舞台でした。
それよりも、最近の第7波の影響で、劇団四季の公演中止が相次いでいる中、無事に観劇できたことに、なによりもまず感謝です。
🐠こんな作品です〜アンデルセンの原作と比較しつつ
基本路線としては、アリエルとエリック王子のロマンス。アリエルの父である海の王トリトンと、姉のアースラの確執も絡んでくるため、ふたつの筋書きが展開していきます。
そして、(アンデルセンの世界観とは真逆かもしれない)勧善懲悪&さわやかな恋、その成就。
あくまで明るい、トロピカル調のロマンスとファンタジーに仕立ててしまったところに、ついディズニーの功罪を見てしまうのですが。
ともあれ、ディズニーはディズニーの良さがありますから、別の作品として楽しく鑑賞しました。
とても素敵な作品なのは間違いなく、たいていの少女は、まずはディズニー版を好むのではと思います。
素敵な王子様に出会って、一目で魅かれ合い、邪魔が入りながらも恋を貫き、最後は華やかなグランドフィナーレ。これぞ王道♡の愉悦です。
こういうお話ももちろん好きですが、私は少女の頃からして、アンデルセン『人魚姫』の美しい悲恋にハマった口でした...(^^ゞ
さて、舞台に戻ります。
海の底と陸上というふたつの場面をスピーディーに切り替えていて、見ている方も気持ちがだれてくることなく見終えることができました。
先ほどの動画もそうですが、海の中ではアリエルたち人魚の髪が、塔のように(アイスクリームのワッフルコーンのように)逆立っているので、今が陸なのか海なのか、はっきりと区別がつくのもよい工夫でした。
事前にパンフレットを見たときは、ビジュアル的に大丈夫かな...と心ひそかに心配していましたが、見た目に高さが出てすっきりすること、非現実→幻想的という良いバイアスで、これもいいなと納得しました。
ところで、第1幕で非常に丁寧に語られるのが、海の世界での暮らしぶり。自由気ままな楽園として、あたかも理想郷のような取り扱いをされています。
その海に、エリック王子も憧れていて、船乗りになりたいと願っているほどです。
一方のアリエルはというと、ベクトルが正反対。半ば現実との齟齬から、地上への憧れやみがたく、ついには海の魔女とのリスキーな契約を交わしてまで、人間の世界に上りたいと願うのです。その想いを歌ったのが、前掲の『パート・オブ・ユア・ワールド』。胸に迫る名曲です。
アンデルセンの原作では、王子の《真実の愛》を得たいとの願い、またそれによって得られる、人間だけ(?)が持つ《死ぬことのない魂》への希求...そのふたつが、お姫さまの核の部分にあります。
不死の魂を得たいという願いを現代の文脈で読み換えると、《いま、ここ》でないものへの尽きせぬ憧れ、ということになるのかもしれません。ちょうどアリエルとエリックが、自分の世界に倦んで、もうひとつの世界に憧れていたように。
🐠心浮き立つ🎵『アンダー・ザ・シー』〜お魚たちの再現性の高さ
押しも押されもせぬ名曲『アンダー・ザ・シー』は音楽として素晴らしく、またこのミュージカルの要石となるナンバーです。上記の『パート・オブ・ユア・ワールド』とふたつ観終えたら、「ああ、リトルマーメイドね。観てはいないけどなんとなく知ってるよ」と語ってしまえるようになりますよ(^^)
映像でも想像がつくかと思いますが、海の生き物の美しさは必見レベル。音楽だけでは全く真価を問えないのが『リトルマーメイド』です。
舞台を観ながらずっと「この既視感はなんだろう...」と首を捻っていたのですが、家に帰ってから思い至りました。―水族館の水槽。作られた美、作り込まれた美、です。
非常に透明度の高い無機質の美。ライトアップされた魚が金銀の群れをなして閃き、光をはじいて回遊する様子は水族館そのもの。サン・サーンスの『動物の謝肉祭』《水族館》が聞こえてきそうです。
帰宅後読んでみた公演プログラムの解説も、やはりと言うべきか《様式美》に言及していました。
無駄なもののない蒼の世界に、色鮮やかな海の生き物が、光を散らして閃く様は、心奪われる美しさ。
その際立つ様式美は、こちらブロードウェイ版 "The Little Mermaid" と比較するとよくわかる。あちら様は生命力と多様性の坩堝。混然一体のエネルギーが圧巻です。歌唱力もやっぱりすごいし、"キレイ"に歌おうとしていないところがいいですね。(丁寧に伝えたい...という四季の路線も好きです♪)
視覚的な芸術性に関しては、生の舞台を見た欲目かもしれませんが、私は四季に軍配を上げたいです(^^♪
(地方公演ではなく常設の四季劇場だともっとすごいのでしょうか?🤔)
さて、四季版の方に戻ります。
静物画としても美麗なのですが、アクターのダンスはもとより、海の生き物の動きがとにかく秀逸。
生き物の動きを、細かなところまで再現したようです。そのあたり、公演プログラムから "さかなクン" の解説をどうぞ。
そのほか、海の魔女アースラの下半身はタコなのですが、海底を這うときに吸盤がくっついては離れる動きもよく再現されているそう。
いかに心血を注いだか、さかなクンの解説で改めて感心したのでした。
🐠アースラ〜悪役、書いてみたいかと言われると...
ディズニー・ヴィランズということになる海の魔女、アースラさん。
悪役って、悪である前にまず自分の欲望に忠実ですから、そういう意味では演じるのが楽しそう。しかもアースラさんはちょっとお茶目なところもありますし(^▽^)
こういう、辺りを憚らずに他人を呪ったり支配しようとする人物を、では小説に書いてみたいかと言われると、Noです。
執筆中は相当程度、キャラクターの心情に付き合わなければなりませんから、心の中をネガティブで一杯にすることになり、精神を消耗しそうです。しかも、悪を描きながら総体として人間讃歌を描ききるような度量がないことを自覚していますので、触らぬ神に祟りなし。
でも、書くのではなく歌うのだと、ネガティブを放出してしまえますので、意外に爽快かも?
そしてたいてい、低めの声域でパワフルに歌い上げる圧巻の歌姫が抜擢されますから、主役よりも誰よりも見事な歌いっぷり(ほんとに)。舞台においては、見事なソロ=正義、です(*´艸`)クスッ
🐠勝手に「ハッピーv.s.アンハッピー」論争〜アンデルセンを引用しつつ
さて、標題に掲げた件です。
私も、アースラさんのような悪人でもないので(たぶん)、現実の人生においては、もちろんすべての人に幸せになってほしいと思っています。
でも、物語となると話は違う。
「めでたし、めでたし」の大団円は、たいていみんな生き延びますから、主役が結ばれたとはいっても、物語としてはオープンなままです。
きっと、アリエルとエリックなら、楽しく幸せに、時にはけんかもしながら過ごしていくのだろうと予想されますが、お妃のプライベートルームってどんな様子かしら、とか、子どもに恵まれるのだろうか、とか、続きは無限に描き出せますから「最後まで見たのに物語が終わっていない違和感」が、どうしても残ります。
登場人物に伴走してきて、ようやくゴールテープを切ったと思ったら、「それはスタートラインです。このあとはレーン無しなので、どこまででも好きな向きで走っていいですよ」と言われ、戸惑う感覚。―それが、ハッピーエンドという華やかな薔薇に隠された棘、なのです。
一方、悲劇だと、たとえば恋愛ものであれば、"主題としてのふたり"は別れていき、いわば"語り尽くされる"わけです。死んでしまったりするとなお完璧ですね(^▽^)
悲しいという感覚とは別に、「最後まで身届けた」納得感が得られます。
シェイクスピア『ロミオとジュリエット』などはまさにそうで、2人とも納骨堂の中で死んでいきますから、《行き着くべきところに行き着いた》わけで、見事な着地ぶりだと思います。しかも、ジュリエットは直前まで《仮死状態》ですから、なおいっそう死という人生のゴールに向けて真っ直ぐに突き進んだ感がありますね。
私は小説はそもそもあまり読まないタイプなので、作品の理解の仕方がどこかシステマティックなのかもしれません。もちろん登場人物に感情移入はしているのですが、頭のどこかが常に分析的なのかも?(幸か不幸かわかりませんが...)
さて、ここでアンデルセン『人魚姫』を、ざっくりおさらいしておきますね。
人魚姫は、群青色の物言う瞳、艶やかな長い黒髪、もの静かで考え深い、そんなクラシカルなお姫さまです。
海の魔女によってリアルに舌を切りとられ、引き替えにもらった脚は、一足ごとに足裏をナイフで切り裂かれる痛みを伴います。お姫さまは日々たいへんな苦しみをしのぶことになるのです。
愛する王子のそばにいられるのはよいけれど、王子は賢く愛らしい子どもを愛するようにいつくしみ、男性の服を着せて遠乗りに連れていくのです。(ここ、アンデルセンの伝記を読んだあとでは、切なくて泣けてくるシーンです。)
その後さらに、ふたりの距離は縮まりますが、結局、王子は隣国の美しい姫君と結ばれてしまいます。
姉たちから「この短剣で王子の心臓を刺せば、元通り人魚に戻って幸せに暮らせる」と短剣を渡される。けれど、お姫さまはそれを海に投げ捨てました。
お姫さまは海の泡となってゆくわけですが、そのまま空気の精となり、空に昇っていきます。
以下は、《空気の娘》たちの言葉から。
そういった意味では、アンデルセン『人魚姫』はハッピーエンドなのかもしれません。不死の魂を授かり天国に行くことになっていますから。(このキリスト教的世界観は、アンデルセンの生きていた時代からくるものでしょう。現代の小説家は、こんなふうには書かないかな、と...。)
天国での暮らしぶりは...などと想像の余地があるので"オープン"とも言えますね。
でも、王子と人魚姫の恋物語としては完結しています。ですので、「最後まで見届けた納得感」を得られるというわけ。
さらに、上記のように、ラストは悲しいというより夢幻の広がりのようで、新しい同胞に迎え入れられ、お日さまや風に透けて大気と一体になるあたりは、読者にとっても"救い"のように感じられます。...まったく、よく練り上げられた構成の物語です(^^)/
枠組みも構成も、筋の運びも描写も、物語としての深みも普遍性も、なにひとつ非の打ち所がないとはこのことです。(ついつい絶賛しちゃうのよね(^^ゞ)
私にとっては、事実上、最も心を魅かれるおはなしがこの『人魚姫』なので、まだまだ語り倒したいのですが、長くなりすぎたので、ここで締めたいと思います。
原語で読みたいなあ、と思うのですが、それにはデンマーク語(しかも昔の)を学ばなければなりませんので、ひとまずは、いろんな翻訳家の訳を読み比べるあたりにとどめています。原語の方がニュアンスが味わえますが、それよりもなお"日本語LOVE"が勝るかも、というところもありますし(^^ゞ
これまでのところ、矢崎源九郎さん、大塚勇三さん、山室静さんあたりを読みました。
🐠終わりに
『リトルマーメイド』と『人魚姫』の比較も交えて、ご紹介してきました。
ディズニー版の方は、アニメもありますので、今やアンデルセンの『人魚姫』とどちらがメジャーなのかわからないほどです。
こういった児童向け作品は、一番最初に幼い子どもが接するのが、おそらく数百円程度の簡略版絵本シリーズだと思います。そちらの筋がどの結末かはわかりませんが(今度見てみよう)、どの入り口から入っても、一度はアンデルセンの原作にふれていただきたいな、と思うのです。
1837年に発表され世界中で愛されて、派生形を幾つも産み出しながら樹形図のように広がっていく人魚姫の原点。
そういったおはなしは他にもたくさんある中(『オペラ座の怪人』、『シャーロック・ホームズ』、シェイクスピアetc..)、人魚姫こそは、原作を超えるものが生み出され得ない作品なのではないかと、密かに思っています。
それは、アンデルセン自身が生き抜いた時代の困難さ(人権意識のない社会)、濃さ、彼自身が抱えていた生きづらさと美しいものへの希求、あるひとへの片想い...。そういったものを、彼が見事に物語化し得たひとだから。
やわらかなやさしい言葉で、こんなに切なく深い愛と憧れとを書いた人を、私は他に知りません。
劇団四季に始まりアンデルセンで終わってしまったこの記事(^^ゞ
すっかり長くなりました...m(._.)m
最後は、リスペクトを籠めて、この写真で締めくくります。
ここまでお読みいただいて、どうもありがとうございました。
《おまけ》
公式マガジンに追加していただけたので、差し出がましくはありますが、『人魚姫』をモチーフに書いた小説をご紹介させてください🙇
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