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私は「運がいい」のだ

タイトル通り、私は「運がいい」と自称している。
宝くじに当たったことも無いし、なにか常人には起こりえないような特別な機会に恵まれた訳でもない。
それでも、「私は運がいい」と言い張りたい。

きっと傍から見てみたら、私は「普通」の範囲だろう。
可も不可もなく、平々凡々な人生。
私を表す言葉としては何も間違ってはいない。
そんな状況にも関わらず「運がいい」と言い張れるのは、私の神経が図太いのではなく、きっとちょっとしたことに喜びを感じられる人間だからだと思う。
能天気というか、お気楽なんだなと思って欲しい。

例えば、
大好きなアーティストのライブチケットが当たった。
滅多に買えないスイーツをたまたま買う事ができた。
自分の発言で会議がまとまり、褒められた。
外出した時に自分好みのアクセサリーを見つけた。
何となく入ったお店のオムライスが美味しかった。
空気が澄んでいて気持ちがいいと思えた。
道端でキレイな花が咲いていた。
健康な身体に恵まれた。
友人に恵まれた。
家族に恵まれた。

運がいい出来事には大きなものもあれば、小さなものもある。
でも、どれも等しく喜びを感じられるものであり、私が運良く手に入れられたものであると思っている。

世の中には、どれだけ努力しても手に入らないものもある。
それは「偶然」や「運命」といったものに左右されてしまうからだ。
いま自分の人生にあるものは、きっと自分自身の努力と運命が運良く重なって手に入れられたものだ。
誰しもが全てを手に入れられる訳では無い。
私が気にも留めないあることは、他の誰かにとって欲しくて欲しくてたまらないのに手に入れられないことかも知れない。逆も然りである。

私は「運がいい」。
毎日、なにか喜びを発見できる。
それは小さなちいさなことかも知れない。
でもきっとその小さな積み重ねが、人生の満足度においては大事なのかもしれない。
「当たり前」「いつものこと」ではなく、
「運良く」「珍しく」と些細なことにも目を向けることがたぶん幸せに繋がる。
持論だけれど。

大変なときでも、ちょっとだけ周りに目を向けて。
つらいときでも、少しだけ前を向いて。
必ずちょっとした幸せが「運良く」見つけられるはずだから。
このことを忘れずに私は生きていきたいし、「運がいい」のだと一生言い続けられる人生を送りたい。

香月


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