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写真が苦手だ

どうも、かわむらです。

僕は写真が苦手です。

正確に言うと、写真を撮られるのが苦手です。

例えば運転免許の更新時、自分の順番が来るまでにこっそりスマホのカメラをインカメにして、自分の表情をチェックしまくります。

よし!この表情だ!と決めたらそこからはずっと表情を崩さずに撮影の順番が来るまで待つのですが、いざ撮影の番が来ると

撮影係「ではその椅子に座ってくださいね」
僕「はーい」

あんなに念入りに表情を作ったのに返事をしたことで一瞬で崩れてしまいました。

出来上がった免許証を見るたびに自分のアホさに呆れてしまいます。

きっとこの記事をここまで読んでくださってる人の中には
「別に普通に撮ってもらえれば良くない?」
と思う人もいるでしょう。

僕だって普通に撮られたいです。
でも僕にとって普通にしているつもりでも、相手からしたら普通ではないみたいです。

それはなぜかというと。

僕は「第1第2鰓弓(さいきゅう)症候群」という先天的な病気を持って産まれたからです。

この病気は顔の成長や機能に様々な異常が生じる病気です。

代表的な症状はというと、耳の変形や聴覚障害。顎や顔面の骨の成長障害、巨口症などいくつかの症状があります。

僕は聴覚障害はなく、耳の形も外から見たらおかしくはないのですが、若干右耳の穴が狭いのかカナル型のイヤホンは着けにくいです。
また、生まれた時に右耳の近くに皮膚の突起のような副耳(ふくじ)と呼ばれるものがあったので、僕の記憶がないレベルの幼児期にそれを取り除く手術をしています。

そして僕が写真が苦手と思う1番の理由が、右側の下顎の成長障害があるからです。

成長障害って言ってもいまいちわからないですよね。
具体的に言うと右顎の発育スピードが遅いため、顔を真正面から見た時に右側(相手からしたら左側)だけ歪んでいるように見え、顔面が非対称になります。

小学生の頃は色んな同級生から
「どうしてよう君の顔は曲がってる(歪んでる)の?」
と何度も言われました。

副耳の手術跡も残っているのでそのことについても何度も聞かれました。

それらの質問は当時の僕にとってどう答えていいのかわからなくて、正直ほっといてくれよって思ってました。

副耳に関しては手術をしたとはいえ、僕が覚えてない生まれてすぐのことだし、顔が歪んでることも僕にとって当たり前のことで、幼い僕が病気のことをちゃんと理解できるはずがないので「なんで?」と言われても答えようがなかったわけです。

僕にとってこの顔が当たり前のことであり普通のことなんだけど、それでも確実に僕の中でそれがコンプレックスになっていきました。

別の記事で書いたことがありますが、小学校低学年の頃の僕は引っ込み思案で大人しくて泣き虫な男の子でした。

僕のこの性格を形成したのは様々な要因があるとは思いますが、やはりこの病気の存在が大きな原因の一つになっていると思います。

自分の顔のことについて色んな人に言われていたので、自分はみんなと違うんだと。自分に自信がつくわけもなく、自分の顔が嫌いでした。


僕の場合は顎の成長に障害があるので必然的に歯並びにも影響が出てきてしまうため、毎年夏休みに経過観察として受診していた県立病院の口腔外科で紹介してもらった、自宅から遠方にある矯正歯科に定期的に通っては、歯の状態を診てもらっていました。

歯並びを維持するためにマウスピースのようなものを定期的に作るのですが、口の中をかたどる為にシリコン?のようなものを流し込まれた際に気持ち悪くなり盛大に吐いてしまいました。

幼かった僕は大泣きしてしまい、以降トラウマになってしまったので、僕はなんでこんな嫌な思いをしないといけないんだろうって心の中で何度も思いました。

ただ、僕が大泣きしたりすると母が「ようちゃんごめんね」と言うので、自分の顔が嫌いなことも辛い気持ちもなるべく見せないようにぐっと堪えていました。

そりゃ引っ込み思案で大人しく、他人に本音を出すことがへたくそ人間になっちゃうよな。


ある程度年月が流れ、小学校高学年になると僕の顔のことについて特に何か言う人もいなくなりました。

当時仲良くなれた友達が明るくて優しい人で、僕も友達みたいな人になりたいって思い、一生懸命に明るい人になろうと努力をするようになりました。

そのおかげで明るい人を演じることに成功はし、友達は増えたけど、根はネガティブな人間なままなので自分自身を苦しめることにもなりました。

とはいえおかげさまで普段の生活の中では不自由なく過ごせるようになりました。
泣いていることよりも友達と遊んで笑っていられることの方が多くなりました。

それでもやっぱりカメラを向けられると怖くて、どうしても表情が硬くなってしまうことに変わりはありませんでした。

遠足、授業参観、修学旅行、運動会…
そこに写る僕はみんなと違って顔が歪んでいる。

学生証や卒アルなどの個人写真みたく、1人ずつ写真を撮られる時なんかは僕にとって本当に辛い時間でした。

僕は普通にまっすぐ向いているつもりでも
「かわむらくーん、顔こっちに向けてねー」
と言われてしまうこと。

歪んでいるのが目立たないように表情を作ると
「表情が硬いよ!」
と言われてしまうこと。

僕の普通は普通には見えないんだ。
表情が硬いっていうけど、この表情を崩せばコンプレックスを晒すことになるからどうしても嫌だ。

だから昔の僕の写真を見るとあまり笑っていません。
笑っちゃうと顔の歪みが余計にバレちゃうから、いつも同じ表情をしていました。

写真撮影だけではなく、自分1人のことをみんなが見ていると思うと急激に怖くなって声が出なかったり、泣き出しそうになってしまう自分に嫌悪感がありました。

挙手発言なんかは本当に怖かったです。
確か4〜5年生だったと思いますが当時のクラスで「全員挙手発言」というキャンペーンが行われることになりました。
名前の通りその日のうちにクラス全員が授業中に挙手発言をしないといけないという、僕にとって地獄のキャンペーンが始まりました。

嫌で嫌でしょうがなかったけど、なんとか勇気を振り絞って挙手しました。
いつも挙手をしない人間が挙手すると、先生的には珍しいからほぼ確で当てられるんですよね。

いざ当てられるとみんなが見ている緊張でうまく話せなくなり、「あれ?かわむらくん?どうした?」とみんなが余計に注目してくるから更に話せなくなりました。

その結果、次の授業は保健室で休んだ覚えがあります。

今となっては考えすぎかもしれないですが、当時の僕にとっては注目されること、カメラを向けられることは、自分のコンプレックスを晒すことで本当に辛い時間でした。

そんな小学生時代を過ごしたかわむらですが、小学校を卒業し中学・高校と新しい環境になり、新しい仲間と出会うことになるのですが、ある程度仲良くなった頃になると決まって申し訳なさそうに

「かわむらってさ、昔顔になんかあったの?」

と聞かれるので、

「あーこれ、生まれてすぐに手術した時の跡だよー、俺生まれつき右だけ顎の発達が遅いんだー」

と、何十回と聞かれ続けた結果スラスラと答えられるようになりました。

小学生の頃、背が小さかった僕は、中学生になり一気に背は伸びたけど、やっぱり右顎はいつも通りマイペースに発育していて、思春期の僕はより自分の顔が嫌でしょうがなかったです。

高校生になりある程度身体が成長し切って大人の骨格に近づいたので、毎年通っている県立病院の形成外科の先生から、20歳くらいになったら顔のバランスをとる手術をするという具体的な話も出てきました。


自分は先天的な病気を持っているんだとわかっていたけど、手術というワードを聞くとより現実的に感じられましたし、もう少し我慢すれば普通になれるんだと期待で胸がいっぱいになりました。


そして大学生になり、新しい環境で新しい友達が出来ました。
この頃になるとスマートフォンが普及し始めて、ガラケーの時以上にみんなで写真を撮る機会が増えました。

友達みんなで旅行に行き、記念撮影をするときは決まって一番左側のポジションにいるよう心がけていました。

カメラに向かって左の顔のラインが見えるようにすれば、歪んでいる右側への違和感が少なく見えるからです。

僕は大学生の頃に出会えた友達が大好きだから、旅行だけでなくカラオケオールや何でもない日常を、思い出としてたくさん残したかった。
それは友達も同じ考えだったので、よく友達は写真を撮ろうとしてくれました。

あんなに楽しい瞬間なのに、カメラを向けられると無意識に表情が強張る僕が大嫌いでした。
みんなとの思い出を残したいはずのに、本能的に現実の自分を避けていました。

でももう少しの辛抱だって、手術すればきっと大丈夫だって、微かな希望を持っていました。



大学2年生、20歳になる前の秋頃だったと思います。
ついに手術が決まりました。

顔のバランスを取るために、よくエロ筋とか言われる足の付け根(鼠蹊部)付近から組織を取り、顔に移植をすることで上手いこと顔に馴染ませてバランスをとるという手術をするわけですが、元々の僕の右顎付近は発育が悪いため、移植するにも組織が入り込むスペースが無いです。

だからこの手術をする前の手術として、右顎付近の皮膚を伸ばす手術をすることになりました。
わかりやすくイメージすると、右顎付近に小さな風船のようなものを入れることによって、定期的に注射をし風船を膨らまして徐々に皮膚を伸ばしていくという感じです。

激しめなおたふく風邪のように、ポコっと右顎だけ膨らんだ歪な形の顔にしばらくはなります。

それに年が変われば成人式という人生で一度きりのイベントもあり、それこそ写真を撮る機会が増えるので、そんな時に歪な形の顔は嫌じゃない?と先生や親からは心配され、手術の時期を遅らせるかどうかの提案もされました。

今この手術をしないと、十分に皮膚を伸ばすことが出来ず、大学2年生の春休み中にバランスをとる手術が出来ないこと。
春休みが明けて大学3年生になれば就活が始まり、手術や入院をしている場合ではなくなること。
綺麗な形になった顔で就活したかったこと。
そしていまさらポコっと膨らんだ顔で成人式の写真がどうのこうのって、僕は今までの人生ずっと自分の顔のことで写真が苦手だったから、そんなの今に始まったことではなかったです。


手術をするために大学を少しの期間休むことを大学メンに伝えたら、「講義のことは大丈夫だから頑張れ」ってみんなに言ってもらえて泣きそうになりました。

でもバイトの方はというと、少しの間休むと年齢が一つ上のバイトリーダーみたいな男の先輩にだけ、まずは仮報告をしました。
2〜3日後バイト先に行くと、普段シフト的に時間が合わないパートのおばちゃんをはじめ、まだ手術のことはもちろん病気のことさえ言ったことのなかった人たちに知れ渡っていました。

どうやら2〜3日の間にバイトリーダーが色んな人に話していたそうです。

もちろん追々話すつもりではいましたが、シフトの時間帯が一緒で特に迷惑がかかってしまうような関わりのある人たちだけに話すつもりでいたのに、ほぼ全社員、全パート、全アルバイトに僕のことが知れ渡っていました。
僕はスーパーでバイトしていたのですが、常連さんも何故か知ってました。

「かわむら君手術するんだって?どうしたの?」と聞かれるから自分の病気のことをイチから話さないといけないこと。
もちろん「手術頑張ってね」と応援してもらうので嫌な顔をするわけにはいかないですが、本当に辛かった。

そして僕が他のスタッフに手術のことを話していると、その場にバイトリーダーがやってきて、僕の顔をぐいっと掴んで右向きにし、
「かわむらのここ歪んでるでしょ?ここの手術するんよな!」と僕の代わりに説明しはじめた時は本当に屈辱的だったし、辛くてトイレで泣きました。

人のことを苦手だなと思うことはあっても心の底から嫌いになることはあまりないのですが、僕はこのバイトリーダーとかいうクズが大っ嫌いになりました。

まぁそいつのことを大嫌いになったとて、僕の現状が変わることもないし、こんな気持ちになるのももうすぐ終わりだって、自分に言い聞かせました。

こんなこともあって、僕にとって色々と覚悟を決めて臨む手術でした。

当初の予定通り、秋頃に少し大学を休んで1回目の手術を受けました。
手術前に見た大学メンのグループLINE、みんなからの応援がとても嬉しかったです。

時間になったので自分の足で手術室に入り、手術台に横になり次に目を覚ましたらもう終わっていました。

最初はぽわーんとした意識でしたが、だんだんと意識がしっかりしてくると明らかに異物が入っているのがわかりました。

風船を入れたことで少し神経に触れてしまい、右目が完全には閉じなくなりました。

寝る時に特に乾燥してしまうので、軟膏を塗って寝ることになりました。

右目だけでなく、口の右側もうまく動かすことが出来なくなり麻痺してしまいました。

ペットボトルで直接口をつけて飲み物を飲むのが難しくストローを常に持参するようになりました。

食事をするのも油断すると口から溢れてしまうから、かなりゆっくり食事をするようになりました。

顔が歪な形をしているから、すれ違う人からの視線も気になりました。

だからマスクをして顎周りを隠すことが多くなりました。

想像もしていなかった辛い時期で泣きたくなることだって何度もあったけど、今だけの辛抱だって一生懸命我慢しました。

それに大学に戻ればいつもと同じテンションの友達が待っていてくれました。

顔の調子はどう?
入院ってどんな感じ?
かわいいナースいた?
とかふざけているけど心配してくれてるのがちゃんとわかるから、ほんとにいいメンツだなーって笑

バイト先ではバイトリーダーの彼女が浮気をしていたことが発覚して僕のことなんかどうでも良くなってたっぽいので、手術がどうのこうのは無く、100%曇りのないざまぁ見ろって気持ちになりました。


成人式もそりゃ色んな人に心配されたけど、「俺の顔いま風船入っとるもんで何かおかしいやらー!笑」って自分から明るく振る舞うようにしました。


あの頃の俺へ。辛いかもだけどもうちょっとだから頑張れ。


そして、ようやく迎えた2回目の手術の日。
大学は春休みに入ってました。

前と同じくグループLINEで大学の友達がたくさん応援してくれました。

自分の足で手術室へ向かうことに少しの慣れさえあり、手術台に横たわり、目が覚めたらもう終わっていました。

相変わらず意識がぽわーんとしていましたが、だんだんと意識が戻ってきて最初の違和感はやはり顔の周辺にありました。
包帯等でぐるぐるになっており、直接触れたり見ることはできなかったけど、なんとなく風船の異物感がなくなっている気がしたこと。
そして全身麻酔が抜けて行くにつれてすごく頭痛がしてしんどかった覚えがあります。

そのあたりの違和感も落ち着いた頃、
「ち◯このあたりが気持ち悪いな」
となりました。

今回体の組織を移植するに伴い、鼠蹊部周辺にメスを入れたので、しばらく歩くことが出来ず、トイレにも行けないのでカテーテルが入れてありました。

イメージでは手術後はもう何一つ不自由のない、僕の望んだ世界だと思ったのに、意外とそうじゃなかったです。

退院後もしばらくは歩くことがしんどくて、杖をついて生活をしました。

なんだかおじいちゃんみたいだなって思ってどんよりしてましたが、そのことを大学メンのとある子に言ったら
「RPGのMVの(セカオワ)Fukaseじゃん!」
ってポジティブなツッコミをしてくれたので救われた気持ちになったのを今でも覚えています。

足はしばらく不自由だったけど、風船がなくなったことにより圧迫されていた神経が元通りになり、目や口の麻痺が無くなりました。

顔の形に関しては当初の予定より上手く馴染まず、むしろ吸収されてしまったのか若干の歪みが残ったままとなりました。

もう一度手術をし、顔の形を整える選択肢もありましたが、麻痺やその他諸々のしんどさをまた経験するのは懲り懲りだったこと、そして根拠はないけど吹っ切れることが出来たのか、自分の顔を受け入れられるような気がしたので、手術をしない選択をしました。


僕は今でも写真を撮る時に斜め左側を向いたり、左側のポジションを陣取ることが多いです。

だから全くもって受け入れられたわけではありません。

でも、昔と違って写真に写る僕はよく笑ってます。

手術後しばらくしてみんなでカラオケをした時に写真を撮りました。
大学の友達が
「この写真のかわむら、めっちゃ笑ってていい表情してるじゃん!」
って言ってくれたことがあります。

カメラの前で上手く笑えなかった僕が、カメラの前で笑えている。いい表情をしている。
僕にとって写真への苦手意識が和らいだ瞬間でした。

大好きな人たちと写真に写る僕は、この時以降だいたいいつもくっしゃくしゃの笑顔で写っています。

それに自分の趣味としてカメラで写真を撮るようにもなりました。

カメラが好きになるなんて昔の僕じゃ考えられないけど、辛かったり嫌な気持ちになったり、どちらかというとマイナスなイメージばかりなんだけど、そんな様々な経験をしてきたからこそ楽しめる瞬間もあります。

景色を撮影していて、
「今は曇りだけど、もう少ししたら晴れるから気長に待つか〜」
と、いいタイミングが来るまで待ち、最高の時が来た瞬間に撮れた写真の良さったらね笑

なんだか僕の人生みたいじゃんってたまに思ったりするんですよね。

これからも生きていけば、少し歪んでる顔の自分もゲイである自分も、今よりもっともっと真正面から受け入れられるようになるのかもしれない。

それでも酷く辛くやっぱり受け入れられないやって、もう全部終わりにしたいって強く思うような出来事も必ずあると思う。

自分で選択したわけでは無く、持って生まれたものだからどうしょうもない。

それでも今までがそうだったように、時間がかかってでもちゃんと一個ずつ受け入れてこれたから、きっと大丈夫。


これからも僕の知らない色んな景色を撮ってみたい。

時間がかかっても最高なタイミングがきっと来るから、そんな最高な景色を撮りにいきたい。

撮るだけじゃなくて大好きな人たちと写真に写りたい。

僕が楽しんでるその瞬間を撮ってもらって、自分自身を安心させてあげたい。

今まで頑張ってきたもんね。
えらかったね。
なんだか今楽しそうじゃん。
安心したよ。

もう写真が苦手な僕じゃない。




僕は写真が好きだ。








長くなりましたが、僕の今までのことを書かせてもらいました。

ゲイである自分のことについて書いてみたいと思いはじめたnoteですが、いつか病気のこともnoteにしてみたいと思っていたので、今回はじめて病気についてカミングアウトをしました。

ここまで読んでくださりありがとうございました。



以上、かわむらでした。

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