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【読書感想】中村香住「クワロマンティック宣言」を読んで

『現代思想』 2021年9月号 「特集=<恋愛>の現在 -変わりゆく親密さのかたち」所収の論文、中村香住氏の「クワロマンティック宣言」を読んだ。本論文を初めて読んでからかなり時間が経ったが、この間に考えたことをまとめたい。

親しい人にデカめの感情(定義が難しいのでこのように呼んでいる)を抱くたびに、この感情が何なのかネットで検索してみたが、恋愛感情かも!と出るばかりだった。しかし恋愛感情と呼ぶには違和感があるし、そもそも恋愛感情って何??と思うことが多かった。ドラマや映画、アニメ見ていても、他者に対する大きい感情や親密な関係性の多くが、恋愛に回収されていくことに違和感を感じていた。しかしその後人間の感情や関係性を丁寧に描いた作品に多く出会い、他者に対する大きな感情は必ずしも恋愛感情とは限らないし、この世界で最も親密な関係は恋愛関係だけではないはずだという気持ちが強まった。

このようにいろいろと悩んで、調べたりしているうちに知ったのが「クワロマンティック」という言葉だった。「クワロマンティック」(クォイロマンティックともいう)とは、恋愛の指向(romantic orientation)の一つで、「『自分が他者にいだく好意が恋愛感情か否か判断できない/しない』といった意味」という(以下記事参照)。

その後たまたまTwitterで見かけた「クワロマンティック宣言」が気になって、kindleで『現代思想』を買って読んだのだが、私のことが書いてある……と思うくらい共感の嵐で驚いた。

本論文では、筆者の中村香住氏の「恋愛」に関する疑問から、クワロマンティックという言葉の定義や成立過程、自身のクワロマンティックとしての実践についてなどが、様々な論考の引用を交えながら書かれていた。ここで私が全てに言及するよりは本論文を読んでいただくのがよいかと思うので、ここでは特に私が個人的にとても共感した部分を挙げたい。

クワロマンティック当事者の中村氏の実践について紹介されている部分では、氏にとって大切な人たちのことを暫定的に「重要な他者」と呼んでいると述べられている。氏にとっての「重要な他者」とは、「その人のことを、とくにその人がどうしたら少しでも生きやすくなるかを毎日無意識のうちに考えているような相手だ。これは、相手も私に同じことをしている/してほしいということを意味しない。ただ単に私が自分の自我によって、その人のことを日々気にかけずにはいられない。そんな相手のことである。」という。

そして「重要な他者」との間で一番大事な実践として、相手との「固有の文脈」を積み上げていくということを挙げている。これは特に発話行為の積み重ねによって積み上げられる、相手と自分の間でのみ通じる共通言語のようなものだという。また最後には、「私にとってのクワロマンティック実践は、信仰や祈りに近い。その人がなるべくいつも心身ともに安寧で穏やかな生活を送れていますようにと、遠くから毎日祈り続けるような感じだ。」と述べている。

私にはいつも穏やかな日々を送ってほしいと願ってやまず、何かと気にかけてしまうような人が2人くらいいるが、その人たちがまさに私にとっての「重要な他者」だと思った。これまでその人たちのことを、自分の中でどのような存在だと捉えたらいいか悩んできたが、一旦「重要な他者」と呼ぶことができたことにとても安心した(もちろんこれから変わっていくかもしれない)。そしてあの人の方がこの人よりも好きというよりは、もっと個別的なもので、それぞれを比べることが難しいくらいに個別に固有の時間というか、対話を積み重ねてきた気がしている。それはまさに「固有の文脈」と呼べるものだろうと思う。

SNSで共有された本論文の感想を見て、自分と同じような人が何人もいたということに安心感を覚えた。いろいろと悩んでいるうちに自分はおかしいのだろうかと思ってしまっていた。しかしこの生き方でいいんだと思えて、とても救われた。無理にデカめの感情を恋愛感情に当てはめる必要はないし、この世で最も親密な関係性は恋愛関係とは限らず、固有の様々な関係性があるのだと思えた。自分自身や世界の解像度がまた上がった感じがして心地よい。

この「クワロマンティック宣言」は他者との関係で悩んだ時などに読み返しており、もはや自分の中でお守りのような存在になっている。これからも折に触れて読み返すのだろうと思う。

※加筆修正あり

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