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リンダリンダ

gooooooooodest beautifulest morning !!!

今朝のお月様は一層かっこいいです

夜明けの空ってなんて素晴らしいんだろう

今日も一日を与えられたことに感謝です


さてさて、あまり考え過ぎないようと思っているのですが

昨夜「マルモのおきて」を観ていました

私は阿部サダヲがとても大好きです

なぜか分からないけれど、大好きです

それで、最終回だったのですが、マルモが双子のためを思って、母親のところに返す決断をして、双子に泣きつかれても、グッとこらえて突き放す

まるで、親虎が子を崖から突き落とすかのように

可愛いからこそ、旅をさせるかのように


それが、それこそが「愛」かもしれない

けれども私にはできない

気がする


強くなれない


理屈も道理も理論も納得している

そして、私も子供が自立できるように育てるのが理想で、自分で考えて、判断して、行動できて、責任持てる子に育てたいし、その上で人生を自由に自在に生きる楽しさを知ってほしい

私だからこそできると思っていました


なのになぜ、カフェオレと離れることができない

なんでも良いから生きていて欲しい

我が出まくり

自分の都合を愛と勘違いしているだけなのかもしれない


でも、カフェオレが離れていくことは確かで、いつかお別れの時が来るのも確かで、理解しているのに、気持ちも割り切っているつもりなのに、悲しくなって、涙が出てしまう


ドライな風の星座の双子座であるけれども、ここに関してはウエッティです

太陽星座は双子座だけれど、月が水瓶座、アセンダントが蟹座とか、結構水の性質もあるのです


それで、もうこんな気持ちになりたくなくて、前も孤独を選んだのです

愛し過ぎて、別れが辛過ぎて、それなら最初から独りでいいって

どうしてものめり込んでしまうタチだから


けれども本当は辛い時に、弱さを見せられる人がいて欲しいとも思っていて


生きるって、自分の生死だけでなく、関わる人すべての生死も含めて、関係して生きなきゃいけなくて、いけないっていうか、そこも含めて生まれることを選んだのだと思うのですが

ばあちゃんの死の時も、晴れやかになっているつもりでも、悲しみが後からやってきて


人生の演出は自分でしていると知識として分かっていても、悲しみのフィルターをかけている自分をやめるには、悲しみを喜びに変えるのか、いつも楽しい、嬉しい、最高って、人や生き物との関わりの中では避けて通れない別れや死をも、良かったってことにできるのか


なんか、やっぱり天邪鬼なので、素直にそうはできなくて

やっぱり、一回悲しむし、ショックだし、右往左往するし、何かに八つ当たりとか、混乱とか、動揺とか、呆然としたり、嫌だって気持ちになって落ち込んで

涙が勝手に出て来るうちは、消化できていないのかもしれないし、無理に元気に明るくとか、しなくて良いのかもしれない

少しずつ、前を向けるようになったり、そこから何かを学んだり、気づいたり、受け止めていけるようになればいい


マルモはおきてをそういう時のために作ったのかもしれなくて、確かに、必要だなとも思ったのです


人は忘れやすい生き物だから


さて、そんなこんなジメッとした内容ですが、外はカラッと晴れています

そして、今日は111の日

夢を天に投げると叶いやすいそうです


11時11分

一言で、決めるつもりで「結婚する」って言うつもりです

がしかし、ついカフェオレのことを言ってしまいそうです


悲喜交交


人生いろいろですが、今日も感謝してまいります

最後までお読みいただき有難うございました



あなた様の夢が叶いますように⭐︎



ではまた!

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