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24 南瓜の花と 糸瓜(へちま)水

焼け跡に祖父の青春 花南瓜

じいちゃんが息を引き取ったのは朝の七時十五分ちょうどだった
定年まで毎朝家を出ていたのも七時十五分
じいちゃんらしい旅立ち方だ

ばあちゃんは精一杯背伸びして、ベッドに横たわったじいちゃんに呼び掛ける

ありがとうね がんばったよねえ

ばあちゃんの立っているほうの目から一粒、涙をおとして、じいちゃんは最後の息を吐いた

夏休みの宿題に飽き、台所にいくと、ばあちゃんがいた。綺麗に洗ったジャムの小瓶を並べて、一升瓶から何やら移しかえている

タロットカードの「節制」を思わせる、静かで不思議な景色

透明で、微かに草の香りを纏い、ほんの少しだけトロリとしたその液体は、ただ「移しかえられている」それだけで、ばあちゃんを魔法使いに見せるのに十分な魔力を持っていた

それは何かと問えば、ヘチマ水だという
肌荒れ、虫刺され、色々効くという
はい、色々。いつもどおりの、魔法使い的な答えが返ってきた

ばあちゃんに誘われてヘチマの棚の下へ向かうと、自身の蔓で作り出した薄暗がりの中に、ビール瓶より少し大きいか小さいくらいのヘチマたちがぞろりと並んでいる
妖怪じみた景色に圧倒されながら、よくよく見れば茎の先端が切り取られ、一升瓶に差し込まれている
目を凝らせば先端からポタリ、ポタリと、ゆったりしたペースで滴が落ちる
丁度ゆっくり息を吸って、吐いたときに一滴、といった具合に、ゆっくりゆっくり、落ちている

「この一滴一滴が、明日には一升になり、明後日には二升になる。ヘチマなりに一生懸命生きてる様で、ばあちゃんは、これを見てるのが好きなんだ。」

じいちゃんの夢は、南方で農業指導をすることだった
戦争が終わって、日本が勝って、そしたら南の島で美味い南瓜の作り方を教えて、そして皆で腹一杯飯を食う
それが、じいちゃんの夢であり、予定であった

小倉から戻る復員の列車は、広島で長い停車をした
じいちゃんは、眼前に広がる焼け野原を前に、線路に腰掛ける

何の感情もなかった
敗戦国の、生き残りの、一人になるなんて
こんな現実が、あっていいはずがない

なぜ自分は、戦いで死ねなかったのか
破壊的な感情が沸々と押し寄せる
全てが灰色の世界。ここで、私は、生きるのか

足元に目を落とすと、急に視界に光が射した
鮮やかな黄色い花が一輪、錆びた鉄筋に絡まって開いている

南瓜の花だ

自分の夢の一部だった南瓜が、目の前で花を付けている
百年は草木は生えぬと噂されていた広島の大地で、生きている

「それでじいちゃんは、頑張ることにしたんだって、
だから、ばあちゃんも、頑張ることにしたんだっけや。」

ばあちゃんは、そう言ってまた、ヘチマの茎を結んだ一升瓶に目を落とした

ばあちゃんと一緒に一升瓶を眺めていると不意に滴りが早くなった
電話が鳴る
私は咄嗟に病院からだと察し、電話口まで掛けていく
やっぱりばあちゃんは、魔女なんじゃないかと思いながら

点滴の落ちる速度は、びっくりするほどヘチマ水と同じだった
じいちゃんの点滴を眺めながら、ヘチマ棚の下での、ばあちゃんとのやりとりを思い出していた

がんばれ、じいちゃん、あともうすこし、生きてくれ

父に連れられてばあちゃんが到着したのを確認して、付き添いの看護師が下を向いたまま皆に声を掛ける

では、呼吸器を外しますね

誰も、何も言わない

それはそれは静かで、厳粛な儀式に立ち会うような時間だった

お前、誕生日だ、おめでとうね
皆が沈黙するなか、思い出したように、ばあちゃんは私に微笑んだ

じいちゃんが行ってから八年後に、ばあちゃんも行った
二人とも、最期は赤ん坊みたいに、全部忘れて戻っていった
鍬も、鍋も、一升瓶も、全部置いて帰っていった

今日で、ばあちゃんが行ってから四年目

今頃じいちゃんは、南瓜の栽培を教え、ばあちゃんは、マイペースに魔法の水をつくり、思いのままの平和な大地で、何の心配もなく、でも相変わらず一生懸命暮らしているのだと思う

だから、何だと言うつもりもないが、こういう話を、誰かに話しておきたいと思った。

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