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昔のにゃん公の話(レポート録)

学校のレポートで「日本古典文学における○○」というテーマの課題が出ました。そこで私は日本古典文学における猫について調べてきたので、提出そのままですが猫ちゃんが好きな方にぜひ見てほしいと思います。


日本古典文学における猫

私は日本古典文学から、猫が人の生活にどのように関わっていたのかを調べた。神道を勉強していると、古典文学における「神秘」と「恐怖」が混在した存在に関心があり、その中でも猫は特に神秘や恐怖と同一視されながら人と関わる生き物であると考えたからである。

平安初期には「狸」をねこと読むことが一般的であり、猫のことを「家狸」と表記することもあった。十世紀になっても狸と猫は混用されており、十二世紀頃には狸を野良猫、猫を家猫と区別するようになった。中国では猫のことを狸と書くため、中国からの影響が大きいと考えられる。中国では穀物や書物をかじる鼠を捕まえる猫は重宝されていた。
日本でも平安時代には多くの貴族や皇族が猫を飼うようになったことがわかっている。八八九年、宇多天皇の日記である『寛平御記』に寵愛する黒猫のことが書かれており、鼠を狩る便利な動物としてではなくペットとして飼われていたこともわかる。貴人に飼われていた猫は日本に在来する種類ではなく、愛玩を目的にした中国の唐猫という輸入猫であった。ただし『寛平御記』において、宇多天皇の黒猫は先帝に献上された猫を数日後に賜ったものと記されており、現代の愛玩動物と異なり唐猫を飼うこと自体を高貴の象徴として重要視していたと思われる。

私は日本古典文学から猫のエピソードを二つ選んだ。一つ目は『枕草子』である。枕草子『七 上に候ふ御猫は』にて「主上のおそばに伺候している御猫は、五位をいただくことによって、命婦のおとどということになって」と書かれており、一条天皇は「御猫」と呼ばれ命婦のおとどという名前を持つ猫を飼われており、五位の位を持っていたという。五位以上の者が貴族であったため、命婦のおとどが大変高貴な猫として扱われていたことがわかる。またお守り役として馬の命婦という女性がつけられていた。上記の宇多天皇の黒猫に乳母のような存在はおらず、命婦のおとどはまるで人間と同じように可愛がられていたのだ。平安時代の猫はステータスであると前述したが、特定の猫を寵愛することも少なくなかった。

二つ目は『源氏物語』である。一条天皇は猫を大切にされていたが、源氏物語の中にも猫を可愛がっている高貴な人物がいた。朱雀院の願いで光源氏に降嫁した女三宮という少女である。光源氏に愛されている身寄りのない紫の上と、幼く愛されないがその立場から正妻になった女三宮は対照的な存在であり、彼女の非常に高貴な身分を表す要素のひとつが猫だったのではないかと考えられる。また、物語の中でも猫は重要な役割を担っている。
人慣れしていない子猫が大きな猫に追われ、走り回るうちに猫を繋ぐ紐があちこちにひっかかり御簾を引き開けてしまったため、女三宮は外に姿を晒すことになった。その様を目撃してしまったのは、女三宮を降嫁する前から慕う柏木という若者だったのである。女三宮は「猫がひどく鳴くので振り返られ面持や身のこなしなどが、まことにおおどかで、若く可愛らしい人と直感される」とあり、非常に魅力のある少女として描かれている。
その後、柏木は女三宮の唐猫を手に入れ、大事に育てることになる。すると、柏木に慣れた猫は彼に「ねうねう」と鳴き、それを柏木は「いやに心のはやるやつよ」と評するのだ。
ねうねう、という鳴き声の表現はここで初めて現れたとされ、まるで「寝よう」と言っているように見える。柏木は「わたしの気持ちがよく分かるのだろうか」と詠い、後に柏木と女三宮が密会してしまうことからも、猫の鳴き声を「寝る」に例えているのは明らかである。紫式部は猫を「女三宮のステータス」「柏木と女三宮の出会い」「柏木の想い」にそれぞれ組み込んでおり、源氏物語の中で起こった悲劇を見事に書き上げているのだ。
私が猫を「神秘」と「恐怖」であると考えた要素のひとつに、猫又がある。よく知られた日本の妖怪であり、多くの怪談集や妖怪絵巻の題材にされた。飼い猫が年をとったものとされ、徒然草(一三三一頃)では既に猫又についての記述がある。鎌倉時代には猫を恐怖の対象として見る文化が存在したことになるが、紫式部の悲劇への応用は、平安時代には既に猫に対し「恐怖」があったと考えてよいのだろうか。
平安時代末期成立の『今昔物語集』にて、「猫を恐れる猫恐の大夫」や「年をとり人語を理解する猫」などの物語がある。長く生きすぎた猫は不思議な力を得るともあり、この時から猫又に対する片鱗がうかがえる。またこの頃には経典を鼠から守るために猫を飼う僧侶がいたこともわかっている。
紫式部個人が猫と恐怖を結び付けていたのか、源氏物語成立頃には既に猫を不思議なものとして見る文化があったのかは不明瞭だが、人間の生活と猫が結びついていくにつれてその傾向が現れたのだと推測できる。

以上のことから、日本人にとって猫は「貴族のステータス」に始まり、その魅力から現代の愛玩動物のように愛でる者やその様に「不思議さ、不穏さ」を見出す者も現れ、生活の一部になっていくにつれてその「不思議さ、不穏さ」に注目する者が増えていったことがわかる。現代にも「猫が怖い」と感じる人はいるが、猫の愛らしさも恐ろしさも平安時代からずっと日本人の中で続いてきたものであると私は考える。
(2140字)

参考文献
阿部秋生(1972)『日本古典文学全集 源氏物語2』小学館
北原保雄(2003)『日本国語大辞典第二版』小学館
田中貴子(2014)『猫の古典文学誌』講談社学術文庫
松尾聡(1974)『日本古典文学全集 枕草子』小学館
松村明(2012)『大辞泉 第二版』小学館

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