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March till death

「死ぬまでにあと何歩歩くのだろう。」


別に、普段から歩数計を持ち歩いているわけではなく、日常的に死を意識しながら歩いているわけではない。

ただ、目的地は徒歩で30分かかると地図が示していた時に僕はなぜ無料で借りられる自転車には目をくれず、アクセルベタ踏みで馬力を誇る車たちの横をまるで生態ピラミッドの下層に位置する小動物のように歩く羽目になっているのかを考えていたらこの言葉が浮かんだだけだ。


正直に言えば、僕はこの数か月の間、難しい日々を過ごしていた。

外に出ることもままならず、ベッドの上ででただ時間が過ぎ去ることを意識してはどうしようもない無力感に苛まれる。いわば、病魔を自覚しつつも諦観する青白い生き物だった。

勿論、調子の良い時もあれば悪い時もあったわけだから、一概に何もせず日々が過ぎるのを眺めていたわけではない。

しかし、一言で言うなら「ビターデイズ」だった。ベストでも、ベターでもないエンド。

やり過ごすようにしてアメリカでの留学生活は終わりを迎えた。


それでも思い描いていた理想に少しでも近づこうと、悪い思い出の上に良い思い出を乗せようと思った。油彩画のように。

こうして、西海岸のポートランド(Portland)という地を歩くこととなり、

「死ぬまでにあと何歩歩くのだろう。」と思ったのである。


そう思ったのは、明らかにポジティブな心情からであったと言っておきたい。なぜなら、ポートランドという場所はかねてからの「憧れの地」であり、不幸中の幸いか、留学中に浪費しなかったために自由に使える金もあった。

そういうわけで良い旅の条件は整っていて、むしろ憧れた場所をこの身で体験できているんだ!という冒険心に満ちた上で、正しく表すなら

「このままずっとこの場所を歩けたなら楽しいのに。もっと見知らぬ土地を歩くように色々なことを体験できる人生になるといいな。そうなると、果たして死ぬまでにあと何歩歩くのだろう。」

という心情だった。実際、渡っていた橋が長くて「あとどんくらいだよ~」って気持ちもあったけど。

しかし、


そう、僕にとって歩くこととは自分の人生を肯定する行いに他ならない。

良いことも悪いことも全て引き連れて、きっと死ぬまで歩を進める”March”なんだ。



恐らくこれから全ての投稿は自分の人生というMarchを振り返る自己肯定の記録です。

歴史が示すように、記録というのは残らないこともあるものです。

いつ途切れるとも分からない行軍日誌、お付き合い下さい。


#日記 #エッセイ #旅行 #ポートランド #はじめに

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